After the Fade

ヒッピーはなぜゲーム会社を作ったのか、Atariという実験

ゲームと文化
ゲーム; Atari; Pong; カウンターカルチャー; Silicon Valley
2654 文字

ヒッピーはなぜゲーム会社を作ったのか、Atariという実験

Atariを「ヒッピーが作ったゲーム会社」と呼ぶと、話は少しきれいになりすぎる。

創業者のNolan BushnellとTed Dabneyは、まず技術者であり、商売人だった。Ampexで映像技術に触れ、コインを入れると遊べる機械をどう作るかを考えていた。彼らが目指したのは、思想運動としてのゲーム会社ではない。清潔な反体制の旗を掲げた共同体でもない。

それでも、その呼び方がまったく外れているわけでもない。Atariが生まれた1970年代初頭のBay Areaには、コンピュータを軍や企業や大学の大型機から引きはがし、個人の手元へ近づけようとする空気があった。ヒッピー文化、学生運動、DIY精神、電子工作、アーケードの胡散くささが、同じ土地で混ざっていた。

Atariは、その混ざり目から出てきた会社だ。コンピュータを「計算する機械」から、身体で反応し、友人と笑い、コインを落とすものへ変えていった。

ヒッピーという言葉の、少し外側

Atariの初期メンバーを、まとめてヒッピーと呼ぶのは乱暴だ。Bushnellはユタ出身の起業家的な人物で、Dabneyは地に足のついたエンジニアだった。彼らの出発点は、共同農場や精神世界ではない。映像回路、業務用機器、コインオペレーションである。

ただ、周囲の空気は明らかに1960年代末の西海岸だった。

Pongを作ったAllan Alcornは、子どものころHaight-Ashburyの近くに住み、Berkeleyではベトナム戦争と学生運動の時代を通過している。Computer History Museumのオーラルヒストリーでは、彼がPeople's Parkの衝突を近くで見ていたこと、写真も撮っていたことが語られている。1

ここで見たいのは、Atariが「ヒッピー思想の会社」だったかどうかではない。反権威的な空気のなかで育った若い技術者たちが、巨大企業の管理文化とは違う働き方を、かなり自然に選んだことのほうだ。

スーツを着た研究所ではなく、雑然とした小さなオフィス。完璧な設計文書より、まず動く回路。大企業の稟議より、バーに置いて反応を見ること。Atariの初期文化は、政治的なスローガンというより、そういう身体感覚に近い。

Spacewar!は、すでに遊んでいた

Atari以前から、コンピュータはすでに遊ばれていた。

1960年代の大学や研究所では、Spacewar!のようなゲームがハッカー文化のなかで広がっていた。Computer History Museumは、Spacewar!が高価で巨大だったコンピュータを「楽しいもの」として経験させ、対話的な個人用コンピューティングへの関心を刺激した、と説明している。2

Bushnellも、その流れに触れたひとりだった。Computer History Museumの人物解説では、BushnellはUniversity of UtahでSpacewar!に触れ、その後Stanford AI Laboratoryでも遊び、商用のコイン式バージョンを作ろうとした、と整理されている。3 研究室の中だけでなく、ピザ店やバーやゲームセンターに置けるのではないか。無料で遊ばれるハッカー文化のゲームを、25セントで動くアーケード機にできるのではないか。

そこからComputer Spaceが生まれる。Spacewar!に着想を得た、初期の商用アーケード・ビデオゲームである。だがComputer Spaceは、まだ少し複雑だった。研究所のゲームをそのまま街へ持ち出すには、街の身体は別のテンポで動いていた。

Atariが見つけた答えは、もっと単純だった。白い線、白い点、反射音、すぐわかる勝敗。Pongである。

コインで成立する自由

Ted Dabneyのオーラルヒストリーには、Atariの現実感がよく出ている。彼らはSyzygyという名前で出発しようとし、銀行口座に100ドルずつ入れる話をしていた。コンピュータを使うゲームの案も検討したが、Dabneyは採算を見て「コインが足りない」と判断している。Galaxy Gameのような装置についても、技術的にはすばらしいが金にならない、と語る。4

この冷静さもまた、Atariを作った。

ヒッピー的な夢だけでは、Pongはバーに置かれない。高価な汎用コンピュータを使えば、機械は美しくても回収できない。店に置くには、壊れにくく、安く作れ、誰でも数秒でわかり、コイン箱がいっぱいになる必要があった。

Computer History Museumは、Alcornが作ったPongの試作機がSunnyvaleのAndy Capp'sというバーに置かれ、人気のためにコインが詰まって「壊れた」と説明している。2 ほとんど寓話のような話だ。機械は失敗したのではなく、遊ばれすぎて止まった。

Atariが発明したのは、ゲームそのものだけではない。コンピュータの反応を、店の床と酒場の雑音と小銭の重さにつなぐ形式だった。

会社なのに、会社らしくない

Pongの開発過程も、企業の計画というより、冗談と偶然に近いところから始まっている。

Alcornは、Pongが最初は練習課題のように渡されたと語っている。Bushnellから簡単なビデオゲームを作るように言われ、本人はそれを本物の仕事だと思い、遊びやすくするための工夫を加えた。5 結果として、その余計な丁寧さがゲームを成立させる。

ここにはAtariらしいずれがある。だまされた若いエンジニアが、課題を本気にして、遊べるものにしてしまう。会社はまだ小さく、役職も曖昧で、プロセスも粗い。それでも、だからこそ画面の手触りに近いところで判断できた。

Dabneyの話では、Pongの注文が入り始めると、すぐに場所が足りなくなった。隣の空きスペースとの壁に穴を開け、キャビネットを運び込む。管理者に止められると、Bushnellは「もうやった。いくら払えばいいか言ってくれ」というような態度で進めた。6

この乱暴さを、美談だけにする必要はない。後のAtariには労働環境や企業統治の問題もあったし、自由な社風は誰にとっても自由だったわけではない。それでも初期Atariの速度は、制度の外側に半分足を出している会社でなければ出せなかった。

なぜ、ゲーム会社だったのか

では、なぜ彼らはゲーム会社を作ったのか。

理由の一つは、ゲームがコンピュータをいちばん早く個人化できたからだ。

当時のコンピュータは、まだ多くの人にとって遠いものだった。企業、軍、大学、研究所の機械であり、普通の人が触れるものではない。だがゲームなら違う。説明書を読まなくても、白い点を追えばいい。難しい計算結果ではなく、画面の動きがすぐ返ってくる。身体が理解できる。

もう一つは、ゲームが商売として成立したことだ。

カウンターカルチャーは、しばしば市場と敵対するものとして語られる。けれどAtariでは、反権威的な遊びの感覚と、コインで回収する商売の感覚が分かちがたく結びついていた。自由な遊びを社会に出すには、機械を量産し、店に置き、故障を直し、売上を回収しなければならない。

Atariの面白さは、理想を純化しなかったことにある。コンピュータを解放したいという時代の欲望を、Pongという極端に単純な商売道具へ落とし込んだ。矛盾はある。だが、その矛盾が強かった。

余韻として残るもの

Pongの画面には、いま見るとほとんど何もない。黒い背景、白いバー、白い点。物語もキャラクターも世界設定もない。

それでも、その何もなさの中には、後のゲーム文化の原型が詰まっている。画面に反応する身体。隣にいる相手。負けた瞬間にもう一回コインを入れたくなる短さ。機械が人を孤立させるのではなく、人が機械の前に集まってしまう感じ。

「ヒッピーはなぜゲーム会社を作ったのか」という問いに、きれいな答えはない。彼らは世界を救うためにAtariを作ったわけではない。遊びが好きで、機械が好きで、金になる匂いを嗅ぎ取り、会社という形を使った。

けれど、Atariが開いた扉は大きかった。コンピュータは仕事の道具である前に、触れば反応が返ってくるものになりえた。人間はその前で、考えるだけでなく、笑い、悔しがり、もう一度やり直すことができた。

Atariという会社の余韻は、そこにある。理想郷ではない。清潔な革命でもない。少し乱暴で、少し胡散くさく、しかし決定的に、機械を遊びへ引きずり下ろした場所だった。

参照

  1. Computer History Museum, Oral History of Allan (Al) Alcorn。Alcornの生い立ち、Haight-Ashbury、Berkeley、People's Park周辺の経験について。

  2. Computer History Museum, “Computers + Games: A Love Story”。Spacewar!、Computer Space、Pong試作機、Atari初期メンバーについて。 2

  3. Computer History Museum, “Bushnell, Nolan oral history” catalog record。Bushnellの出自、Spacewar!体験、Ampex、Syzygy、Computer Spaceへの流れについて。

  4. Computer History Museum, Oral History of Ted Dabney。Syzygy、採算判断、Galaxy Gameへの言及について。

  5. Computer History Museum, Oral History of Allan (Al) Alcorn。PongがAlcornに与えられた経緯と、遊びやすさの工夫について。

  6. Computer History Museum, Oral History of Ted Dabney。Pong量産期の工場拡張と初期Atariの運営について。