ヒッピーはなぜゲーム会社を作ったのか、Atariという実験
Atariを「ヒッピーが作ったゲーム会社」と呼ぶと、話は少しきれいになりすぎる。
創業者のNolan BushnellとTed Dabneyは、まず技術者であり、商売人だった。Ampexで映像技術に触れ、コインを入れると遊べる機械をどう作るかを考えていた。彼らが目指したのは、思想運動としてのゲーム会社ではない。清潔な反体制の旗を掲げた共同体でもない。
それでも、その呼び方がまったく外れているわけでもない。Atariが生まれた1970年代初頭のBay Areaには、コンピュータを軍や企業や大学の大型機から引きはがし、個人の手元へ近づけようとする空気があった。ヒッピー文化、学生運動、DIY精神、電子工作、アーケードの胡散くささが、同じ土地で混ざっていた。
Atariは、その混ざり目から出てきた会社だ。コンピュータを「計算する機械」から、身体で反応し、友人と笑い、コインを落とすものへ変えていった。
ヒッピーという言葉の、少し外側
Atariの初期メンバーを、まとめてヒッピーと呼ぶのは乱暴だ。Bushnellはユタ出身の起業家的な人物で、Dabneyは地に足のついたエンジニアだった。彼らの出発点は、共同農場や精神世界ではない。映像回路、業務用機器、コインオペレーションである。
ただ、周囲の空気は明らかに1960年代末の西海岸だった。
Pongを作ったAllan Alcornは、子どものころHaight-Ashburyの近くに住み、Berkeleyではベトナム戦争と学生運動の時代を通過している。Computer History Museumのオーラルヒストリーでは、彼がPeople's Parkの衝突を近くで見ていたこと、写真も撮っていたことが語られている。1
ここで見たいのは、Atariが「ヒッピー思想の会社」だったかどうかではない。反権威的な空気のなかで育った若い技術者たちが、巨大企業の管理文化とは違う働き方を、かなり自然に選んだことのほうだ。
スーツを着た研究所ではなく、雑然とした小さなオフィス。完璧な設計文書より、まず動く回路。大企業の稟議より、バーに置いて反応を見ること。Atariの初期文化は、政治的なスローガンというより、そういう身体感覚に近い。
Spacewar!は、すでに遊んでいた
Atari以前から、コンピュータはすでに遊ばれていた。
1960年代の大学や研究所では、Spacewar!のようなゲームがハッカー文化のなかで広がっていた。Computer History Museumは、Spacewar!が高価で巨大だったコンピュータを「楽しいもの」として経験させ、対話的な個人用コンピューティングへの関心を刺激した、と説明している。2
Bushnellも、その流れに触れたひとりだった。Computer History Museumの人物解説では、BushnellはUniversity of UtahでSpacewar!に触れ、その後Stanford AI Laboratoryでも遊び、商用のコイン式バージョンを作ろうとした、と整理されている。3 研究室の中だけでなく、ピザ店やバーやゲームセンターに置けるのではないか。無料で遊ばれるハッカー文化のゲームを、25セントで動くアーケード機にできるのではないか。
そこからComputer Spaceが生まれる。Spacewar!に着想を得た、初期の商用アーケード・ビデオゲームである。だがComputer Spaceは、まだ少し複雑だった。研究所のゲームをそのまま街へ持ち出すには、街の身体は別のテンポで動いていた。
Atariが見つけた答えは、もっと単純だった。白い線、白い点、反射音、すぐわかる勝敗。Pongである。
コインで成立する自由
Ted Dabneyのオーラルヒストリーには、Atariの現実感がよく出ている。彼らはSyzygyという名前で出発しようとし、銀行口座に100ドルずつ入れる話をしていた。コンピュータを使うゲームの案も検討したが、Dabneyは採算を見て「コインが足りない」と判断している。Galaxy Gameのような装置についても、技術的にはすばらしいが金にならない、と語る。4
この冷静さもまた、Atariを作った。
ヒッピー的な夢だけでは、Pongはバーに置かれない。高価な汎用コンピュータを使えば、機械は美しくても回収できない。店に置くには、壊れにくく、安く作れ、誰でも数秒でわかり、コイン箱がいっぱいになる必要があった。
Computer History Museumは、Alcornが作ったPongの試作機がSunnyvaleのAndy Capp'sというバーに置かれ、人気のためにコインが詰まって「壊れた」と説明している。2 ほとんど寓話のような話だ。機械は失敗したのではなく、遊ばれすぎて止まった。
Atariが発明したのは、ゲームそのものだけではない。コンピュータの反応を、店の床と酒場の雑音と小銭の重さにつなぐ形式だった。
会社なのに、会社らしくない
Pongの開発過程も、企業の計画というより、冗談と偶然に近いところから始まっている。
Alcornは、Pongが最初は練習課題のように渡されたと語っている。Bushnellから簡単なビデオゲームを作るように言われ、本人はそれを本物の仕事だと思い、遊びやすくするための工夫を加えた。5 結果として、その余計な丁寧さがゲームを成立させる。
ここにはAtariらしいずれがある。だまされた若いエンジニアが、課題を本気にして、遊べるものにしてしまう。会社はまだ小さく、役職も曖昧で、プロセスも粗い。それでも、だからこそ画面の手触りに近いところで判断できた。
Dabneyの話では、Pongの注文が入り始めると、すぐに場所が足りなくなった。隣の空きスペースとの壁に穴を開け、キャビネットを運び込む。管理者に止められると、Bushnellは「もうやった。いくら払えばいいか言ってくれ」というような態度で進めた。6
この乱暴さを、美談だけにする必要はない。後のAtariには労働環境や企業統治の問題もあったし、自由な社風は誰にとっても自由だったわけではない。それでも初期Atariの速度は、制度の外側に半分足を出している会社でなければ出せなかった。
なぜ、ゲーム会社だったのか
では、なぜ彼らはゲーム会社を作ったのか。
理由の一つは、ゲームがコンピュータをいちばん早く個人化できたからだ。
当時のコンピュータは、まだ多くの人にとって遠いものだった。企業、軍、大学、研究所の機械であり、普通の人が触れるものではない。だがゲームなら違う。説明書を読まなくても、白い点を追えばいい。難しい計算結果ではなく、画面の動きがすぐ返ってくる。身体が理解できる。
もう一つは、ゲームが商売として成立したことだ。
カウンターカルチャーは、しばしば市場と敵対するものとして語られる。けれどAtariでは、反権威的な遊びの感覚と、コインで回収する商売の感覚が分かちがたく結びついていた。自由な遊びを社会に出すには、機械を量産し、店に置き、故障を直し、売上を回収しなければならない。
Atariの面白さは、理想を純化しなかったことにある。コンピュータを解放したいという時代の欲望を、Pongという極端に単純な商売道具へ落とし込んだ。矛盾はある。だが、その矛盾が強かった。
余韻として残るもの
Pongの画面には、いま見るとほとんど何もない。黒い背景、白いバー、白い点。物語もキャラクターも世界設定もない。
それでも、その何もなさの中には、後のゲーム文化の原型が詰まっている。画面に反応する身体。隣にいる相手。負けた瞬間にもう一回コインを入れたくなる短さ。機械が人を孤立させるのではなく、人が機械の前に集まってしまう感じ。
「ヒッピーはなぜゲーム会社を作ったのか」という問いに、きれいな答えはない。彼らは世界を救うためにAtariを作ったわけではない。遊びが好きで、機械が好きで、金になる匂いを嗅ぎ取り、会社という形を使った。
けれど、Atariが開いた扉は大きかった。コンピュータは仕事の道具である前に、触れば反応が返ってくるものになりえた。人間はその前で、考えるだけでなく、笑い、悔しがり、もう一度やり直すことができた。
Atariという会社の余韻は、そこにある。理想郷ではない。清潔な革命でもない。少し乱暴で、少し胡散くさく、しかし決定的に、機械を遊びへ引きずり下ろした場所だった。
参照
Footnotes
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Computer History Museum, Oral History of Allan (Al) Alcorn。Alcornの生い立ち、Haight-Ashbury、Berkeley、People's Park周辺の経験について。 ↩
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Computer History Museum, “Computers + Games: A Love Story”。Spacewar!、Computer Space、Pong試作機、Atari初期メンバーについて。 ↩ ↩2
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Computer History Museum, “Bushnell, Nolan oral history” catalog record。Bushnellの出自、Spacewar!体験、Ampex、Syzygy、Computer Spaceへの流れについて。 ↩
-
Computer History Museum, Oral History of Ted Dabney。Syzygy、採算判断、Galaxy Gameへの言及について。 ↩
-
Computer History Museum, Oral History of Allan (Al) Alcorn。PongがAlcornに与えられた経緯と、遊びやすさの工夫について。 ↩
-
Computer History Museum, Oral History of Ted Dabney。Pong量産期の工場拡張と初期Atariの運営について。 ↩