プロゲーマーという問いは、時代ごとに別の顔で現れた
ゲームで生きることの意味は、一度も安定したことがない。
高橋名人がいた時代と、ブンブン丸がいた時代と、梅原大吾が出てきた時代では、「ゲームで生きる人間」が何者であるかの定義が根本から違う。それぞれの時代が、ゲームとの関係をまったく別の場所から切り出してきた。
高橋名人——企業が作った「達人」
1985年、ハドソンという会社の社員だった高橋利幸は、突然「高橋名人」として世に出た。1秒間に16回シュートボタンを押す「16連射」が代名詞となり、子どもたちのあいだで伝説的な存在になっていく。
ゲームで生きた最初の人間のひとりではある。ただ「プロゲーマー」と呼ぶには、何かがずれる。彼が体現していたのは競技者の強さではなく、企業のプロモーションが必要とした「ゲームの達人」像だった。腕前は、ハドソンのソフトを売るための物語として機能していた。
そのねじれが最も露骨に出たのが「ゲームは1日1時間」という言葉だ。ゲームをもっともうまくプレイする人間が、ゲームをやりすぎることへの警告を発する。子の親世代への配慮でもあり、時代の空気への迎合でもあった。この言葉は高橋名人を、競技者ではなく社会とゲームのあいだに立つ調停者として位置づけた。
「ゲームで食べていける」ことを彼は証明したが、その方法は会社の広告として機能することだった。ゲームで生きる人間の最初の形は、競技でも批評でもなく、プロモーションのための顔として現れた。
ブンブン丸——路上から出てきたゲーマー
1991年、『ストリートファイターII』がアーケードに登場したとき、場の空気は一変した。格闘ゲームは対戦という要素を前面に押し出し、プレイヤー同士が直接ぶつかる競技性を生んだ。その舞台がゲームセンターだった。
当時のゲームセンターは健全な娯楽の場ではなかった。ヤンキー文化と深く交差した場所で、不良や不登校の居場所でもあり、腕前が直接ヒエラルキーを決める実力主義の空間だった。高橋名人的な清潔さはない。勝てば台を占領できる、負ければコインを失う、それだけのルールが支配していた。
ブンブン丸はそこから出てきた。格闘ゲームの強豪として名を上げ、やがてゲームライターとして言葉を持つ側に回る。アーケードのプレイヤーが批評者・書き手になるというルートは、ゲームを内側から語る言語が生まれ始めた瞬間でもあった。
「ゲーマー」という言葉が自称として使われ始めたのも、この頃だ。 高橋名人の時代にゲームの巧者は、企業に名付けられた「名人」だった。アーケードの路上では、自分たちのことを「ゲーマー」と呼ぶ人間が現れる。会社から与えられたラベルではなく、サブカルチャーのなかで自分たちで名乗り始めたものだった。
梅原大吾——「世界初」という称号が意味したこと
2004年のEvo(Evolution Championship Series)で、ある場面が生まれた。『ストリートファイターIII』のトーナメントで、体力がほぼゼロの状態から、梅原大吾が相手の全技を目視でパリィし、逆転勝利を収めた。「Evo Moment #37」として記録されたその15秒は、格闘ゲームの歴史でもっとも語られる瞬間のひとつになった。
だがそれより決定的だったのは、2010年のことだ。梅原はゲーム周辺機器メーカーのMad Catzと契約を結び、スポンサードプレイヤーとなる。ギネスブックはこれを「世界最長のプロゲーマー在籍記録」として認定した。ゲームで生きるということが、企業の広告塔ではなく競技成績への対価として成立した、最初期の記録のひとつだ。
梅原が面白いのは、その哲学にある。著書『勝ち続ける意志力』で彼が語るのは、勝利術ではなく持続することの倫理だ。ゲームを武道のように捉え、自己を鍛え続けることそのものに価値を置く。技術より精神、結果より姿勢というフレームは、スポーツ的な競技者像とは異なる独特のものだ。
彼において初めて、「プロゲーマー」は競技成績で定義された。しかしその競技者像は、単に勝つことではなく、ゲームを通じて自分自身を問い続ける存在として描かれた。
eSports——アスリートという答え
昨今のeSportsは、スポーツの語を文字通りに受け取り始めた。プロチームが結成され、監督やコーチが置かれ、選手は栄養管理や睡眠の質まで最適化を求められる。練習量と戦略の精緻さは、従来の競技スポーツに引けを取らない。大型スタジアムを使った大会が開かれ、配信が数百万人の観客を集める。
アスリートだ、というのがいまのeSportsが提示する答えだ。選手は体力を持ち、戦術を学び、チームで機能する。ゲームの腕前は才能と訓練の産物であり、それを売り物にして生きていくことには正当性がある——そういう言語で語られるようになった。
社会的な承認という意味では大きな前進だ。ゲームをすることへの後ろめたさが薄れ、競技という文脈で堂々と語れる。しかし同時に、何かが整理されすぎた感覚もある。路上の体温、負けた人間の話、アーケードの薄暗さ——そういうものは、アスリート像の外側に押し出されていく。
逡巡を、弱さとは呼べない
この系譜をたどっていると、ひとつの傾向が見えてくる。日本のゲーマー像は、純粋な勝利の証明とはどこかずれたところに立ってきた。
高橋名人は「1日1時間」という社会との折り合いを引き受けた。ブンブン丸はアーケードを出て書く側に回った。梅原は「勝ち続けること」ではなく「問い続けること」を哲学の中心に置いた。いずれも、ゲームの強さを純粋に誇示することへの、ある種の迂回を含んでいる。
その迂回は弱さではないと思う。ゲームを競技の道具としてだけでなく、自分の居場所や批評や思索の場として持ち続けてきた、というほうが近い。
eSportsがアスリートという答えを出したいま、その外側で取りこぼされているものを拾う言語が、また必要になっている気がする。ゲームで生きることの意味は、競技の枠だけでは語り切れない。その余白に踏みとどまり続けてきたのが、日本のゲーマー文化の粘り強さだったのではないか。