ゲームは時間の無駄なのか。この古い問いが、いつも別の文化に向けられてきた
ゲームをやめたあと、部屋だけが急に静かになる瞬間がある。
戦闘の反復で少し熱くなった指、ミニマップの角度にまだ引っぱられている視線、セーブ画面の音だけが耳に残る深夜。そこへ「時間を無駄にしたのではないか」という言葉が差し込んでくる。ゲームをしていない人だけがそう言うのではない。遊んでいた本人の中からも出てくる。
この言葉は、いつも少し大きすぎる。問題はしばしばゲームそのものではなく、何に時間を使うと正当で、何に時間を使うと後ろめたいのかという秩序のほうにあるからだ。
「ゲームは時間の無駄か」という問いは、ゲームだけに向けられてきたわけではない。もっと古い層では、役に立たない思索や詩や物語が疑われてきた。近代以降には、小説、コミック、テレビが順番に「人を怠けさせるメディア」として告発された。現代ではさらに、大学教育そのものに対しても「教養より実務知識を」という圧力が強い。
つまりこの問いには、少なくとも二段ある。
一段目は、役に立つ時間と、役に立たない時間を分ける論理。
二段目は、役に立たない時間の内側でも、高く扱われる文化と、低く扱われる文化を分ける論理だ。
ゲームは、たいていこの両方の下側に置かれる。
古代からある、「楽しいだけでは足りない」という圧力
この話をいきなりゲーム産業の歴史から始める必要はないと思う。もっと古い。
プラトンは『国家』第10巻で、詩や模倣が国家と人間生活にとって有用であるなら弁護を聞く、と述べつつ、詩的模倣は聞き手の理解を損なうと批判した。1 ここで重要なのは、詩が「楽しいか」ではなく、「真理や国家にとって役立つか」で裁かれていることだ。
もちろん、古代ギリシャにテレビもゲームもない。だが形式はすでにある。感情を動かし、人を引き込み、すぐに実利へ換算しにくいものは、まず有用性を証明しろと求められる。楽しいだけでは足りない。魂や国家や教育に資することを示せ。そう言われる。
この圧力は、いまの「それで就職に役立つのか」「それはスキルになるのか」という言い方と、驚くほど遠くない。
小説、コミック、テレビも、先に「怠惰」を疑われた
新しいメディアが広がるたび、似た言葉が繰り返される。
18世紀イングランドでは、小説の流行が「読書パニック」として受け止められた。アナ・ヴォグリンチッチの整理では、小説はとくに女性や若者を空想へ引き込み、家事や仕事から逸らし、感情を過熱させるものとして批判された。1796年の雑誌『Sylph』には、母親が子どもがパンを求めて泣いているそばで小説のヒロインの悲劇に泣いている、という戯画的な描写まで現れる。2
1954年、アメリカ上院の少年非行小委員会はコミックをめぐる公聴会を開いた。米議会図書館の法図書館ブログが振り返るように、当時は「コミックが子どもを犯罪に向かわせる」という不安が政治問題になり、フレデリック・ワーサムはそこで悪名高い証言を行った。結果として、その年にコミックス・コードが導入され、産業全体に長い自己検閲がかかる。3
1961年には、FCC 議長ニュートン・ミノーがテレビを「a vast wasteland」と呼んだ。4 彼が批判したのは、暴力や定型番組やコマーシャルの過剰だけではない。公共の電波を使いながら、人びとの知性や市民性を豊かにしていない、ということだった。
順番に並べると少し可笑しい。小説は怠惰を生む。コミックは非行を生む。テレビは知性を腐らせる。ゲームは時間を奪う。メディアごとに細部は違うが、骨格はかなり似ている。
新しい娯楽はたいてい、まず「気晴らし」ではなく「堕落」として読まれる。
いま起きているのは、ゲームだけへの圧力ではない
この話がややこしいのは、単なる世代間の説教では終わらないことだ。背景には、時間を実用へ回収したい社会の圧力がある。
アメリカ芸術科学アカデミーの Humanities Indicators によれば、米国の大学が授与した人文学学士号は2024年に16万5489件で、2012年の高水準から30%減った。学士号全体に占める比率も、2012年の13.1%から2024年には8.4%まで下がっている。対照的に、同期間に工学、医療保健、自然科学の比率は伸びた。5
これは単に「若者が本を読まなくなった」という話ではない。大学という制度そのものが、以前よりもはっきり「何が職業に直結するか」で測られているということだ。役に立つ知識、すぐ換金できる知識、雇用市場で説明しやすい知識が優先される。
そうなると、ゲームへの視線も当然厳しくなる。なぜならゲームは、勉強より、資格より、インターンより、さらに遠回りに見えるからだ。
だがここで見えてくるのは、ゲームが特別に嫌われているというより、実用に直結しない時間全体の居場所が狭くなっているということのほうだ。
それでも、教養の中に序列は残る
ただし話はそこで終わらない。
詩や文学や絵画やクラシック音楽は、少なくとも「教養」や「芸術」として擁護される余地がある。たとえ実学でなくても、人を深くする、感受性を育てる、社会を理解する、といった言葉で守られやすい。
ゲーム、コミック、テレビ、ポップミュージックは、そこでもう一度落とされることが多い。役に立たないだけでなく、高尚でもないと見なされるからだ。
この二段目の序列は、かなりしぶとい。映画が長く「低俗」と見られた歴史を思えば、いずれゲームも完全に芸術として承認される、という未来図はたしかにありうる。だが現時点でも、ゲームはしばしば「時間の無駄」であると同時に、「読書ならまだしも」という比較の下に置かれる。
ここではゲームの経験の具体性が、評価の言葉へうまく変換されていない。
探索ゲームで地図の余白を少しずつ埋める感覚。格闘ゲームで負けた原因が一フレーム単位で身体に残る感覚。RPG でレベル上げの単調さが、逆に思考のリズムを整える夜。協力ゲームで、声だけの友人と数時間同じ失敗を繰り返すこと。その経験は、文学の読後感や映画の余韻とは違うが、空っぽとは言い切れない。
にもかかわらず、それはしばしば「ただ遊んでいただけ」と要約される。
エビデンスは、「時間量だけでは語れない」と言い始めている
では、実際にゲームは時間の無駄なのか。
ここでは少なくとも、昔ながらの乱暴な断定より、研究のほうが慎重だ。
WHO は ICD-11 でゲーム障害を定義している。そこでは、ゲームのコントロールが効かず、ほかの活動より優先され、重大な機能障害が続く状態が問題とされる。同時に WHO 自身が、こうした障害はゲームをする人の「small proportion」に生じるものだと説明している。6
つまり、ゲームに問題が起こりうることと、ゲーム一般が無駄であることは、同じ話ではない。
さらにオックスフォード・インターネット研究所が 2025 年に発表した研究では、Nintendo Switch の成人プレイヤー703人、150タイトル、14万時間超の実プレイデータを分析した結果、プレイ時間の長さそのものは、精神的健康や生活満足度、抑うつ症状に有意な影響を示さなかった。むしろ重要だったのは、ゲームが本人の生活や価値観にどう適合しているか、どんな文脈で遊ばれているかだった。7
これは「ゲームは良いものだ」と単純に言っているわけではない。時間だけ見てもわからない、と言っている。
読書でも、仕事からの逃避として自分をすり減らす読み方はある。映画でも、だらだら再生し続けて睡眠を崩す見方はある。逆にゲームでも、気分転換、友人との接続、達成感、反復による鎮静として機能することがある。英国政府の Video Games Research Framework も、ゲームを社会・文化・経済の重要な一部と位置づけつつ、その効果を高品質な独立研究で見ていく必要を強調している。8
ここで大事なのは、ゲームを聖化しないことだと思う。ゲームは人を助けることもあるし、壊すこともある。けれど、その分岐は「ゲームだから」自動的に決まるのではなく、どういう生活の中で、どういう関係の結び方をしているかでかなり変わる。
「無駄かどうか」より、何を残したかを問いたい
結局のところ、「ゲームは時間の無駄か」という問いは雑すぎる。
無駄になるゲーム時間はある。眠るべき夜を削り、他人との約束を壊し、自分の生活を狭める遊び方はたしかにある。それは否定しないほうがいい。
でもそれは、ゲームだけの罪ではない。小説にも、テレビにも、SNS にも、仕事にすらある。役に立つはずの時間の使い方が、人を空洞化させることはいくらでもある。
むしろ見えてくるのは、ゲームが他の娯楽より本質的に無駄だという事実ではなく、社会が何度も新しい娯楽を「無駄」と呼んできたという歴史のほうだ。そのたびに問われてきたのは、余暇の正当性であり、教養の序列であり、誰の時間が「まとも」に見え、誰の楽しみが「子どもっぽい」と見なされるのかという境界だった。
だからこの問いに答えるなら、こう言うほうが正確だと思う。
ゲームは、ときに時間を無駄にする。だが、ゲームだけが特別に無駄なのではない。
「ゲームは時間の無駄だ」という言い方は、しばしばゲームの実態よりも、時間と文化を序列化したい側の価値観をよく表している。
本当に訊くべきなのは、「何時間やったか」だけではない。
そのゲームのあとに、何が残ったのか。身体の疲れか、現実逃避か、友人との記憶か、思考の整理か、ただの惰性か。
ここで言う「残ったもの」は、感想のことだけではない。受け取った側の中で、何が想像されたのかでもあると思う。自分のまだ知らない他人の生活を少し思い描けたのか。いまいる場所を別の角度から見直せたのか。あるいは逆に、ただ刺激だけが通過し、何も像を結ばなかったのか。
この問いは、YouTube や TikTok に向けても、そのまま使えるはずだ。短い動画を見続けた時間が、ただ指の運動と次の刺激への待機だけになっていたのか。それとも、一つの作り手の癖、知らなかった土地の空気、他人の仕事や身体の使い方、まだ言葉になっていない欲望や不安を、自分の中に少し残したのか。問題は「ゲームか、動画か」だけではない。その時間が想像力を動かしたのか、それとも想像する前に次の刺激へ流されたのかに近い。
では、誰がそれを評価するのか。たぶん、最終的に一人の権威が決める話ではない。ただ、補助線としては三つくらい置ける。
- そのあとで、自分の言葉で何かを言い直したくなるか。
- 他人や世界への関心が、少しでも広がったか。
- 生活のリズムが痩せたか、逆に少し整ったか。
一つ目は、受け身で終わらなかったかを見る線だ。二つ目は、その時間が自分の殻の中だけで閉じたかどうかを見る線だ。三つ目は、文化経験を道徳で裁く代わりに、生活との接続で見る線だ。
この三つを全部満たすものだけが価値ある、という意味ではない。だが少なくとも、「何の役に立ったか」だけで切るよりはましだと思う。文化の時間を評価するのは、資格欄や生産性の数字だけではない。想像がどう動き、言葉がどう残り、生活がどう変わったか。その遅い変化まで見ないと、無駄かどうかの判断はやはり早すぎる。
ゲームを終えたあとに残るものまで見ないかぎり、「無駄」という言葉はたぶん、あまりに早すぎる。
Footnotes
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Plato, The Republic, Book X, trans. Benjamin Jowett. 詩が「国家と人間生活にとって有用」であるなら弁護を聞く、という条件つきの扱いが見える。https://classics.mit.edu/Plato/republic.11.x.html ↩
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Ana Vogrinčič, “The Novel-Reading Panic in 18th-Century England: An Outline of an Early Moral Media Panic.” 18世紀後半の小説読書が、怠惰や感情の逸脱として批判された経緯を整理している。https://docslib.org/doc/11756889/the-novel-reading-panic-in-18th-century-in-england-an-outline-of-an-early-moral-media-panic ↩
-
Law Library of Congress, “The Senate Comic Book Hearings of 1954.” 1954年の公聴会と Comics Code 導入の流れをまとめた記事。https://blogs.loc.gov/law/2022/10/the-senate-comic-book-hearings-of-1954/ ↩
-
Newton N. Minow, “Television and the Public Interest,” 9 May 1961. “a vast wasteland” という表現で知られる演説。https://www.americanrhetoric.com/speeches/newtonminow.htm ↩
-
American Academy of Arts & Sciences, Humanities Indicators, “Bachelor’s Degrees in the Humanities.” 2024年の人文学学士号件数と、2012年以降の比率低下、工学・医療保健・自然科学の伸長を確認できる。https://www.amacad.org/humanities-indicators/higher-education/bachelors-degrees-humanities ↩
-
WHO, “Addictive behaviours: Gaming disorder.” ゲーム障害は重大な機能障害を伴う一部のケースとして定義され、ゲーム参加者の small proportion に影響するとされる。https://www.who.int/news-room/questions-and-answers/item/addictive-behaviours-gaming-disorder ↩
-
Oxford Internet Institute, “It’s quality not quantity that predicts gamers’ wellbeing, new study finds.” 2025年の発表で、プレイ時間よりもゲームの価値づけや生活との適合が well-being と結びつくと報告している。https://www.oii.ox.ac.uk/news-events/its-quality-not-quantity-that-predicts-gamers-wellbeing-new-study-finds/ ↩
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UK Department for Culture, Media and Sport, “Video Games Research Framework.” ゲームを英国の社会・文化・経済にとって重要な一部と位置づけ、独立研究の必要性を示す。https://www.gov.uk/government/publications/video-games-research-framework/video-games-research-framework ↩