身体を降りて、カメラだけ残った——塚本晋也『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』
Note
筆者は本作を未鑑賞です。2026年9月11日公開、この記事は翌12日に書いています。 本編の画面については断定せず、ポスター、公開された場面写真、監督と俳優の発言、クレジットから読めることだけを書きます。
ヴェネチアで賞を受け取ったあと、塚本晋也はこんなことを言っている。
この映画がもしできなかったら、自分でこのマンガを描くか、一人芝居か何かでアレンさんになって、日本中を回ろうかなと1
アレンさんというのは、アレン・ネルソン(1947-2009)のことだ。18歳で米海兵隊に志願し、1966年にベトナムの最前線へ送られ、帰還後はPTSDに苦しみ、のちに自分の加害体験を語り続けたアフリカ系アメリカ人の元兵士である。
66歳の日本人の映画監督が、その人に「なる」と言っている。マンガでも、一人芝居でもいい。とにかく自分の身体でやると言っている。
ここに、この作家のいちばん古い習性が出ている。そして『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』は、その習性をついに実行しなかった映画だ。

画像掲載元:映画ナタリー(natalie.mu)
この記事の主張
塚本晋也は、暴力と身体の距離を測ってきた作家だ。そして測定器は、長いあいだ彼自身の身体だった。
『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』のクレジットを見ると、監督・脚本・撮影・編集に彼の名前がある。出演欄にはない2。測定器は画面から降りている。
ただし全部は降りていない。撮影は本人が続けている。カメラという形で、彼の身体は俳優の至近距離に残った。
この配置は、彼自身が語っている戦争観と正確に噛み合う。距離が離れるほど加害は卑怯になる、という見立てだ。だとすれば、距離ゼロで撮ることは、彼にとって単なる撮影スタイルではない。
作品情報
2026年製作、日本、116分、PG12。監督・脚本・撮影・編集は塚本晋也。製作は木下グループ、配給はキノフィルムズ。2026年9月11日から kino cinéma 新宿ほかで公開3。
原作はアレン・ネルソン『「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」ベトナム帰還兵が語る「ほんとうの戦争」』(講談社文庫)。参考文献として『戦場で心が壊れて 元海兵隊員の証言』(新日本出版社)が挙げられている4。
アレン・ネルソン役はブロードウェイ『RENT』のオリジナルキャスト、ロドニー・ヒックス。精神科医ニール・ダニエルズ役に『シャイン』のジェフリー・ラッシュ。青年期のアレンをマーク・マーフィー、リンダをタチアナ・アリ、日本人の黒井をリリー・フランキーが演じる2。
撮影はニューヨーク、ベトナム、タイ、沖縄。戦闘シーンはベトナムで撮影許可が下りず、タイで撮られた4。プロットに着手したのは2018年、撮影開始は2025年2月4。監督自身は完成まで「7年」と書き5、取材記事では「構想10年」とされている6。
第83回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門に出品され、コラテラル賞のひとつ、レオンチーノ・ドーロ賞(金の小獅子賞)を受賞した。日本作品の受賞は初めてである7。
『鉄男』の距離はゼロだった
1989年の『鉄男』は、監督、脚本、製作、撮影、照明、美術、特殊効果を塚本が一人で担い、その上で出演もしている8。
あの映画で起きているのは、金属が皮膚を破って肉に食い込むことだ。ドリルが体から生えてくる。鉄と肉のあいだに距離がない。サイボーグものによくある「脳は人間、腕は金属」という分業ではなく、無機物と有機物がぐちゃぐちゃに混ざる。
塚本本人が、当時の感覚をこう説明している。
人間は金属が世の中に出た瞬間から恋愛関係に陥っているんですよね。良いほうに使えば農耕具のようなツールとして使えますが、最初からシンプルな棒が武器にもなる9
恋愛関係、という言い方が面白い。距離がゼロだということだ。そして距離ゼロの金属は、道具にも武器にもなる。
つまり『鉄男』の時点で、彼のテーマはすでに「人間と、人間を傷つけうるものとの距離」だった。ただしそのときの距離はゼロで、暴力はまだファンタスティックなものだった。
『沈黙』で、塚本は「部品」になった
2016年のマーティン・スコセッシ『沈黙 -サイレンス-』で、塚本はモキチという長崎のキリシタンを演じている。他人の映画に、俳優として出た。
役作りのために50kgを切るまで減量し、「立ち上がるのも、何かをつかまなくてはならない感じだった」と語っている。殉教シーンについては「万が一、死んでしまってもまあいいか、と思えるほどの映画」とまで言っている10。
さらに、俳優としての自分の位置をこう説明する。
“監督の奴隷になる”ことしか考えていないです。ある一定の自分のやり方を持っていくのではなく、岩清水のようなピュアな気持ちで現場に行って、監督が自分のやりたいことをできるように、出っ張りも引っ込みもしない“部品”になりに行く11
部品。自分の身体を、他人の意志に使われる材料として差し出す。
そして彼は、『沈黙』と『野火』のテーマが同じだったとも言っている。「ある権力の暴力によって自分にとって大事なものが曲げさせられることへの葛藤」11。
ここで二つのことが重なっている。演じられている内容(権力に身体を潰される信徒)と、演じている姿勢(監督の権力に身体を差し出す俳優)が、同じ形をしている。塚本はモキチを理解するために、俳優という職業そのものを使っている。
ついでに言えば、モキチを演じるときの心持ちとして彼が挙げたのは、スコセッシへの信仰心と、もう一つ、「戦争がまた起こってしまうかもしれない現在に、未来の子供たちに祈りを捧げる気持ち」だった10。2016年の発言である。
身体は、段階的に画面を降りた
ここで一度、図式を訂正しておく。
最初に並べたとき、私は「『ネルソンさん』で塚本は初めて画面から降りた」と書こうとした。それは事実として誤りだった。
- 『鉄男』(1989)……監督・撮影ほか、出演あり8
- 『野火』(2014)……監督・製作・脚本・撮影・編集、主演(田村一等兵)12
- 『斬、』(2018)……監督・製作・脚本・撮影・編集、出演あり(澤村次郎左衛門)13
- 『ほかげ』(2023)……監督・脚本・撮影・編集。キャストに名前はない14
- 『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』(2026)……監督・脚本・撮影・編集。キャストに名前はない2
降り始めたのは『ほかげ』からだ。主演から、脇役へ、そして不在へ。三段階かけて画面を出ている。
ただし本作では、降り方の質が違う。『ほかげ』は日本の焼け跡の話で、その気になれば彼が出られる役はいくらでもあった。本作の中心にいるのは、アフリカ系アメリカ人の実在の死者である。演じたくても演じられない。
「一人芝居でアレンさんになって日本中を回ろうか」という発言は、だからただの謙遜ではない。彼の初期設定はいまも「自分でやる」なのだ。それを実行できない題材を選んだ時点で、この映画は彼にとって例外的な位置にある。
降りた身体の代わりに、カメラが入った
では、降りたあとに何が残ったか。撮影である。
ジェフリー・ラッシュが、ヴェネチアの記者会見でこう証言している。
ドクターがネルソンのカウンセリングをするシーンでは、わたしの後ろで彼がカメラをぐりぐりと動かして、欲しいものを探求しているのがわかりました6
俳優の背後で、監督本人がカメラを持って動いている。オペレーターではなく、監督が。その距離は、俳優が振り向かなくても気配でわかる程度に近い。
ロドニー・ヒックスの証言も、同じ現場を別の角度から言っている。
彼は禅の師匠のよう。穏やかで寛大です。(中略)カットとなかなか言わないので初日は戸惑いましたが、すぐに慣れました6
カットをかけない。つまり、カメラを構えた身体が、演技が終わったあともそこに居続ける。

画像掲載元:映画ナタリー(natalie.mu)
公開されている場面写真を見ても、カメラの位置は伏せた兵士たちと同じ高さにある。銃身と顔がほぼ同じ平面に並んでいて、撮る側は列の内側にいる。ポスターも同じで、汗の粒が数えられる距離まで顔に寄っている。
これらは公開用に選ばれた宣伝素材だから、本編の平均的な距離を代表しているとは限らない。それでも、配給側が「この映画はこういう距離の映画だ」と示したい画がこれだ、ということは言える。
付け加えると、音楽のクレジットが今回は ermhoi になっている2。1989年の『鉄男』から塚本作品のほぼ全作を担当してきた石川忠は2017年12月に亡くなり15、それでも『斬、』と『ほかげ』の音楽クレジットには彼の名前が残っていた1314。本作は、その名前のない最初の一本ということになる。降りたのは監督の身体だけではない。
「卑怯度」という尺度
ここで、監督自身の言葉に戻る。ドローンやAIによる攻撃について問われたときの答えだ。
そもそも暴力はいけないことですが、被害者との距離が離れれば離れるほど、卑怯度が増していくというか。拳銃の歴史が始まったときから恐ろしい「卑怯」が始まって、それが次第に距離を伸ばしていって、ミサイルになると、もう卑怯の極地のようで。さらにドローンとなると、ゲーム的な感覚でボタンを押すので、一見すると罪の意識は感じない9
「卑怯度」という言い方には、倫理の尺度として距離を使う発想がある。加害の重さは、何人殺したかではなく、どれだけ離れて殺したかで測られる。
この尺度を、そのまま撮る側に当てはめてみる。
戦争を遠くから、安全な位置から、俯瞰で撮ることは、この尺度では卑怯にあたる。だとすれば、俳優の背後に自分の身体ごとカメラを持ち込んで、カットをかけずに回し続けることは、方法というより倫理の実行になる。
ただし塚本は、同じインタビューで自分の考えを一度修正してもいる。ドローン攻撃について話を聞いたら、操作する側はターゲットの家族を何日も観察してから撃つのだと知った、という話だ。
なかには、あとから家族のもとに行って、「申し訳なかった」と直接伝える人もいるらしく、どんな方法でも加害行為にはいろいろな形でトラウマが残る9
距離が離れれば罪の意識が消えるという単純な図式を、彼自身が壊している。ここは正直な人だと思う。だから記事の側も、「距離ゼロ=誠実」という図式に寄せすぎないほうがいい。
18歳が20人で選んだ賞
レオンチーノ・ドーロ賞は、イタリア全土から選ばれた18歳の高校生20名が審査員を務め、コンペティション部門から受賞作を選ぶ独立賞だ。過去にはパク・チャヌク『親切なクムジャさん』やウェス・アンダーソン『ダージリン急行』が受けている7。
塚本のコメントはこうだ。
この映画は多くの人に見ていただきたいのはもちろんですが、特に若い人に見てほしいという気持ちが強くあります7
これは受賞後の社交辞令ではなく、彼が制作前から言っていることと一致する。本作はPG12で、12歳未満でも保護者の助言があれば観られる。その判断について彼はこう説明している。
映像によるトラウマは、実際の戦争で受けたトラウマに比べれば弱いものです。心の傷になる可能性はありますが、ショックをなるべく早い年齢で味わっておいて、実際に戦争が近づいた時に、身体が拒絶反応を示すようになった方がいい。予防接種のようなものですね4
免疫、予防接種、拒絶反応。全部、身体の語彙だ。
彼は観客に「戦争は悪い」と理解させようとしていない。身体に入れておこうとしている。頭で知識として持っていても効かないが、細胞に入っていれば、実物が近づいたときに勝手に嫌悪が起きる。そういう装置として映画を設計している。
そしてこの設計は、10年前に彼が『沈黙』の殉教シーンに持ち込んだという「未来の子供たちに祈りを捧げる気持ち」10と、やはり同じ方向を向いている。

画像掲載元:映画ナタリー(natalie.mu)
この読みが外れているとしたら
三つ、弱いところがある。
一つ目。塚本が出演していないのは、思想ではなく実務の結果かもしれない。アフリカ系アメリカ人の物語に、日本人の中年男性が入る役がない。それだけの話である可能性は十分にある。リリー・フランキーが演じる黒井という日本人の役はあるが、そこに監督が入ると、映画の重心が日本側にずれてしまう。
二つ目。「カメラが至近距離にある」という本記事の中心的な観察は、ラッシュの証言一つと、宣伝用に選ばれた写真と、過去作の方法からの推定でできている。本編を観ていない人間の書いた図式にすぎない。
三つ目。この記事は、作家の思想をクレジット欄から読もうとしている。それは作品を観ないで済ませるための便利な方法にもなりうる。実際、この読みが正しいかどうかは、映画館に座れば一発でわかる。
それでも、公開2日目に書いておく意味はあると思っている。この作家が『鉄男』から37年かけて、自分の身体をどこに置くかを変え続けてきたことは、観る前に確認できる事実だからだ。そして観たあとには、たぶんもう別のことしか書けなくなる。
関連する記事から
国家の暴力を、思想ではなく個人の実務として届ける映画については、『霧のごとく』について書いた記事で考えたことがある。塚本の場合、その「個人」の位置に自分の身体を置いてきたのが違いだ。
一人で撮影も編集もやる作り方については、DIY映画の作り方で書いた「撮れる条件から逆算する」という話につながる。塚本は逆算の結果として一人になったのではなく、一人でやれることを方法そのものにした作家だと思う。
同じ振動が快楽にも破壊にもなるという、身体に直接届く映画の危うさについては、『シラート』の記事で触れた。「予防接種」という塚本の言い方は、その危うさを承知のうえで使っている表現だ。
表現者が政治について語ることの是非は、音楽の側から一度整理した。アレン・ネルソンが日本で1200回以上、憲法9条について語り続けたこと4も、同じ問題圏にある。
参照
- 映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』公式サイト
- ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか? 作品情報 — 映画.com
- 映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』:鬼才・塚本晋也がこの時代にベトナム戦争を描いた理由 — nippon.com
- 塚本晋也監督が語る、戦争を描き続ける理由。 — ギズモード・ジャパン
- 塚本晋也監督最新作、9月公開 ベトナム戦争をめぐるタブー、加害者の傷描く — 映画.com
- 【第83回ベネチア国際映画祭】「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」に熱狂的な拍手 — 映画.com
- 塚本晋也監督「特に若い人に見てほしい」金の小獅子賞受賞でコメント — 映画.com
- 塚本晋也「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」がヴェネツィアで“金の小獅子賞”に — 映画ナタリー
- 『沈黙ーサイレンスー』塚本晋也インタビュー — リアルサウンド
- 50キロ切る減量…スコセッシ新作『沈黙』立ち上がるのもやっとだった塚本晋也 — シネマトゥデイ
- 塚本晋也の監督作支えた音楽家・石川忠が死去 — 映画ナタリー
- 霧の手触り——『霧のごとく』が白色テロを個人の動線で届ける方法
- DIY映画の作り方は、撮れる条件から逆算すること
Footnotes
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映画ナタリー、2026年9月12日。レオンチーノ・ドーロ賞授賞式後の囲み取材での発言。同じ取材で「17年前に亡くなったアレンさんがもう1回よみがえるということばかりが目的だった」とも述べている。 ↩
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映画.com 作品情報ページのスタッフ・キャスト欄。監督・脚本・撮影・編集は塚本晋也、音楽は ermhoi、音響演出は北田雅也。キャストはロドニー・ヒックス(アレン・ネルソン)、ジェフリー・ラッシュ(ニール・ダニエルズ)、マーク・マーフィー(青年期のアレン)、リリー・フランキー(黒井)、タチアナ・アリ(リンダ)。公式サイトとポスターの表記も同じで、いずれにも塚本の出演記載はない。 ↩ ↩2 ↩3 ↩4
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映画.com 作品情報。2026年製作/116分/PG12/日本、配給キノフィルムズ、劇場公開日2026年9月11日。公開館は公式サイトによる。なお発表時点(2026年3月)の告知では「TOHOシネマズ シャンテほか全国公開」とされていた。 ↩
-
nippon.com、2026年9月12日。塚本晋也インタビュー。原作と参考文献の書誌、撮影地、PG12の判断、アレン・ネルソンの講演回数と憲法9条についての言及はこの記事による。撮影開始時期とプロット着手年も同記事。講演1200回超という数字は関係者発表にもとづく二次情報である。 ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5
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映画.com、2026年3月29日掲載の塚本晋也監督コメント全文。「作らなければ、でも逃げたい、というせめぎ合う気持ちは7年もの間完成に到るまで続いた」。 ↩
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映画.com、2026年9月5日。第83回ヴェネチア国際映画祭ワールドプレミア時の記者会見。ジェフリー・ラッシュとロドニー・ヒックスの発言、および「構想10年、4カ国でロケ」という記述はこの記事による。 ↩ ↩2 ↩3
-
映画.com、2026年9月12日。レオンチーノ・ドーロ賞の審査方式(イタリア全土から選ばれた18歳の高校生20名)、日本作品初の受賞、過去の受賞作、監督コメント、選評の要旨はこの記事による。 ↩ ↩2 ↩3
-
映画.com 作品情報。『鉄男』(1989年、67分)。監督・脚本・製作・撮影・照明・美術・特殊効果を塚本晋也が担当し、出演もしている。主演は田口トモロヲ、音楽は石川忠。 ↩ ↩2
-
ギズモード・ジャパン、2026年9月12日。塚本晋也インタビュー。『鉄男』当時のテクノロジー観、ドローンと「卑怯度」、加害側のトラウマについての発言はこの記事による。 ↩ ↩2 ↩3
-
シネマトゥデイ、2016年11月。長崎・日本二十六聖人記念館での記者会見。「モキチ役では50kg切るまで痩せなくてはならなく」「立ち上がるのも、何かをつかまなくてはならない感じだった」「殉教シーンの撮影で、万が一、死んでしまってもまあいいか、と思えるほどの映画」、および役作りの心持ちについての発言はこの記事による。 ↩ ↩2 ↩3
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リアルサウンド、2017年1月。『沈黙ーサイレンスー』公開時の塚本晋也インタビュー。「監督の奴隷になる」「部品になりに行く」、および『野火』と『沈黙』のテーマの一致についての発言はこの記事による。 ↩ ↩2
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映画.com 作品情報。『野火』(2014年製作、2015年7月25日公開、87分、PG12)。塚本晋也が監督・製作・脚本・撮影・編集を担い、田村一等兵を演じている。音楽は石川忠、配給は海獣シアター。 ↩
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映画.com 作品情報。『斬、』(2018年、80分、PG12)。塚本晋也は監督・製作・脚本・撮影・編集に加え、澤村次郎左衛門役で出演。音楽クレジットは石川忠。第75回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門出品。 ↩ ↩2
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映画.com 作品情報。『ほかげ』(2023年、95分)。塚本晋也は監督・脚本・撮影・編集。キャストは趣里、塚尾桜雅、河野宏紀、利重剛、大森立嗣らで、塚本の出演記載はない。音楽クレジットは石川忠。第80回ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門でNETPAC賞を受賞。 ↩ ↩2
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映画ナタリー、2017年12月の訃報記事。石川忠(1966-2017年12月21日)は1988年に塚本晋也と出会い、1989年の『鉄男』から2015年公開の『野火』まで塚本のほぼ全作の音楽を担当した。『斬、』は完成前に石川が亡くなったため、塚本が石川の作った音楽を編集して仕上げている。『ほかげ』の音楽クレジットが既存音源によるものか未発表音源によるものかは、映画.com のクレジット表記以上のことを確認できていない。要検証。 ↩