ミュージシャンはなぜ政治を語るのか。古代から世界史で見る「発言」のかたち
ミュージシャンが戦争、選挙、虐殺、差別、国家暴力について何か言うたびに、必ずどこかで「音楽だけやっていればいい」という反応が出る。舞台の上で歌う人間が、舞台の外の政治を語るな、という感覚である。
けれど、長い歴史で見ると、これはかなり新しい言い方だ。音楽家はずっと政治を語ってきたし、同時に政治に語らされてもきた。しかもその「発言」は、いま私たちが想像するようなインタビューやSNS投稿だけではない。賛歌、宮廷歌、風刺歌、亡命先からの証言、国際機関での演説、スタジオ録音、ライブの合間の一言。その時代ごとのメディアに応じて、政治的な声の形が変わってきただけだ。
問題は、ミュージシャンが政治を語るべきかどうか、ではない。歴史的には、音楽はつねに権力と近い場所に置かれてきた。問うべきなのはむしろ、誰がどこで語れるのか、誰が黙るよう求められるのか、そしてその発言に誰が代償を払うのか、である。
まず、「音楽だけやれ」は歴史的にかなり新しい
古代までさかのぼると、今日の意味での「ミュージシャンの政治コメント」はほとんど残っていない。そもそも、歌い手、詩人、祭司、宮廷の奉仕者がまだきれいに分かれていないからだ。記録に残るのは、神殿や王権のアーカイブに保存された声であり、個人の自由な意見表明というより、儀礼と統治の中で発せられた言葉である。
その典型のひとつが、紀元前23世紀ごろのエンヘドゥアンナだ。彼女はサルゴン朝の高位祭司であり、現存する最古級の記名著者として知られる。その神殿賛歌は、単なる信仰告白というより、アッカド帝国の統治に必要だった宗教的な統合を支える役割を持っていたと読まれている。ここでは、歌や祈りの言葉そのものが、王権の正統性を補強する政治的な仕事をしている。1
同じことは、音楽についての古代の思想にも現れる。プラトンは『国家』で、歌は言葉、旋律、リズムから成り、その音楽とリズムは言葉に従うべきだとしたうえで、国家にふさわしくない旋法を退けようとした。2 前漢期に編まれたとされる中国の『礼記』「楽記」でも、礼・楽・刑・政は人心を同じ方向へ導く統治の装置として並べて語られる。3
ここで重要なのは、古代人が「音楽は政治と無関係だ」とまったく思っていなかったことだ。むしろ逆で、音は人心を動かし、秩序を作り、国家の状態を映すものだと考えられていた。つまり、現代の「音楽は政治の外にいてほしい」という願望のほうが、歴史の長さから見ると例外に近い。
古代から見えてくるのは、自由な意見より「位置」である
ただし、この時代の音楽的な発言を、現代の抵抗の言葉と同じように美化するのは危ない。古い記録に残りやすいのは、多くの場合、権力に近い声だからだ。宮廷に仕える者、神殿に属する者、統治の秩序に関わる者の言葉は保存されるが、そうでない声は消えやすい。
だから、古代史からわかるのは「昔からミュージシャンは反権力だった」という話ではない。そうではなく、音楽家の声は最初から政治の内部に配置されていた、ということだ。音楽家は権力を批判する人である前に、しばしば権力を飾り、正当化し、儀礼化する人でもあった。
この視点は、現代の議論にもそのまま効く。ミュージシャンの政治的発言を問題にするとき、私たちはしばしば「芸術」対「政治」という二項対立を置いてしまう。だが歴史的には、二つは最初からかなり深く混ざっていた。
宮廷と共同体のあいだで、音楽家は助言し、煽り、記憶する
中世以降になると、音楽家の声はもう少し「個人の言葉」に近づいて見えてくる。ただし、それも自由市場の中で孤立して語る声ではない。多くは、宮廷や有力者との庇護関係の中で響いていた。
12世紀のトルバドゥール、ベルトラン・ド・ボルンは、その好例だ。ブリタニカが要約するように、彼は軍事的で扇動的な詩を残し、リチャード獅子心王らをめぐる争いの中で政治的に動いた。ここでの歌は、恋愛の抒情だけではない。戦争を煽り、同盟と反乱の熱を上げる言葉だった。4
西アフリカのグリオもまた、単なる娯楽の演者ではない。ブリタニカはグリオを、系譜、歴史叙述、口承伝統を保存する存在であり、同時に助言者であり外交使節でもあったと説明している。ユネスコ・クーリエも、グリオを共同体の記憶と社会的判断を担う語り手として位置づける。56 コラや声が鳴る場では、音楽は「出来事を後から飾る」ものではなく、支配の正統性、共同体の記憶、交渉の言葉そのものだった。
ここまで来ると、ミュージシャンの政治的発言という問題は、だいぶ違って見えてくる。彼らは国家や共同体について勝手に口を出し始めたのではない。むしろ長いあいだ、音楽家は社会が自分を語るための装置の一部だった。
マイクと録音が、政治的発言の宛先を変えた
近代以降に大きく変わるのは、声の届く先だ。神殿や宮廷や地域共同体ではなく、不特定多数の公衆へ向けて、しかも複製可能な形で音楽が流通するようになる。楽譜、新聞、レコード、ラジオ、テレビ、そしてインターネット。これによって、ミュージシャンの政治的発言は、権力への奉仕や局地的な助言だけではなく、大衆的な公共圏への介入になる。
ニーナ・シモンの「Mississippi Goddam」は、その転換がよく見える歌だ。軽快なショーチューンの骨格を借りながら、歌詞は公民権運動期の暴力と「go slow」の欺瞞を切り裂く。PBS が紹介する本人の言葉では、彼女は爆破事件のあと「銃になろう」としたが、代わりに音楽を書いた。それが彼女にとっての「最初の公民権ソング」になった。7 ここでは歌は、王や宮廷に向かうのではなく、放送とライブを通じて公衆の神経へ直接入っていく。
ミリアム・マケバはさらに、歌手の声を国際政治の場へ持ち込んだ。1963年、彼女は国連の反アパルトヘイト特別委員会で演説し、南アフリカの現実を世界へ訴えている。89 舞台上の歌唱と国際機関での証言が切り離せなくなったとき、ミュージシャンの発言は「芸能人の私見」ではなく、越境する政治的証言になる。
ビクトル・ハラの「El derecho de vivir en paz」は、ベトナム戦争への抗議から出発しながら、後には別の時代のチリでも「平和に生きる権利」を求める歌として呼び戻された。1011 フェラ・クティは、アフロビートの反復するグルーヴとホーンの圧で、ナイジェリア軍政や抑圧を公然と批判した。ブリタニカがまとめるように、彼の政治的な楽曲はたびたび当局の襲撃と弾圧を招いた。12
この時代以降、ミュージシャンの政治的発言は、単なる「意見」ではなくなる。レコード、放送、マイク、群衆、検閲、逮捕、亡命、暗殺、国際連帯が、ひとつの回路に入る。声は広く届くが、そのぶん罰も大きくなる。
現代では、声の大きさと正確さがずれやすい
ここで、現代の難しさがもうひとつ出てくる。届く範囲が広がったということは、間違いもまた広く届くということだ。
ミュージシャンは、必ずしも外交、戦争、差別政策、食糧危機の専門家ではない。にもかかわらず、現代のプラットフォームは、長い検証や留保より、短く強く断言する言葉を好む。アルゴリズムが増幅しやすいのは、複雑な説明より、敵と味方がすぐ見える一言、共有しやすい怒り、切り抜きやすい断定のほうである。そこで起きるのは、沈黙の問題だけではない。誤った理解のまま、大きな声だけが先に流通する問題でもある。
その危うさは、1980年代の Live Aid をめぐる批判にもよく表れている。エチオピア飢饉への巨大な注目と資金動員は現実に起きたが、後年の検証では、その表象が飢饉の政治的・軍事的原因を脱色し、自然災害のように見せたこと、さらに「非政治的な救済」として流れた援助が現地政治の力学から自由ではなかったことが指摘されてきた。1314 ここで見えてくるのは、善意が無意味だったという話ではない。善意だけでは足りず、どの構図で問題を語るかが結果を変えてしまう、ということだ。
だから、ミュージシャンの政治的発言を評価するときは、勇気や誠実さだけでなく、正確さの問題を外せない。何を知っていて、何を知らないのか。誰の経験や調査に依拠しているのか。複雑な争点を、動員しやすい図式に削りすぎていないか。大きな声は、それ自体では正しさを保証しない。
それでも、先に言ってしまう声が必要なときがある
ただし、ここで「だから専門家以外は黙るべきだ」と言うと、それもまた現実を見損なう。
制度や多数派の感覚のほうが、長いあいだ間違っていることがあるからだ。シネイド・オコナーが 1992 年に Saturday Night Live で教皇の写真を破り、児童虐待とカトリック教会を結びつけて告発したとき、彼女は激しい嘲笑と排除を受けた。だが後に、教会と関連施設における虐待の実態が広く可視化されるにつれ、彼女の行為は「行き過ぎた挑発」だけではなく、制度が認める前に問題を名指した行為として読み直されるようになった。1516
ここでは、ミュージシャンが政策文書を書くわけではない。けれど、まだ社会が正面から見ていない暴力や偽善に名前を与えることはできる。ニーナ・シモン、ミリアム・マケバ、ビクトル・ハラ、フェラ・クティにも見えたのは、まさにその働きだった。音楽家の声は、問題を最終的に解決するわけではないが、何が問題なのかを、多くの人がもう無視できない形に変えることがある。
いま問うべきなのは、「語るな」ではなく、どう語り、どう受け取るか
ここまでの歴史を踏まえると、現代の議論は少しずれて見える。ミュージシャンが政治を語ること自体は、まったく新しくない。新しいのは、プラットフォーム企業、スポンサー、ファンダム、炎上経済が、その発言をどう整形し、どう罰し、どう収益化するかだ。
現代のスターは、一方で「影響力があるのだから発言せよ」と求められ、他方で「ファンを分断するな」「音楽に専念しろ」とも言われる。だが、この矛盾は偶然ではない。市場は、政治的な声を必要なときにはブランド価値として使い、都合が悪くなると「中立」を要求する。
しかも、そのコストは均等ではない。大国の巨大スターと、検閲国家のインディペンデントな音楽家では、同じ一言の重さが違う。英語圏のポップスターと、亡命を背負った歌手では、沈黙の意味も違う。歴史の中でずっとそうだったように、誰が安全に話せるかは、才能や誠実さだけで決まらない。国籍、階級、メディア、スポンサー、国家暴力との距離が決めてしまう。
だから、ミュージシャンの政治的発言をめぐって本当に見るべきなのは、発言内容への賛否だけではない。その声が、どのインフラで増幅され、誰に守られ、誰には守りがなく、どこで消されるのか。その条件のほうである。
そして、もうひとつ大事なのは、考える仕事をミュージシャンへ丸投げしないことだと思う。歌手が勇敢に発言したからといって、その内容まで自動的に正しくなるわけではない。逆に、歌手が黙ったからといって、私たちの思考停止が免責されるわけでもない。発言の責任はもちろん発言者にあるが、その声をどう検証し、誰の声が欠けているかを見て、単純化に流されず考え続ける責任は、受け手の側にも委ねられている。
何が残るのか
「音楽だけやっていればいい」という言葉は、きれいに聞こえるわりに、歴史に対してはかなり鈍い。古代の賛歌から宮廷歌、グリオの記憶、プロテストソング、国連での証言、テレビでの怒り、SNS投稿にいたるまで、音楽家の声はつねに社会の編成とぶつかってきた。
もちろん、すべての政治的発言が立派だと言いたいわけではない。音楽家の声は権力に抵抗もするし、権力を飾りもする。連帯も作るし、プロパガンダにもなる。だからこそ、問題は「語るな」でも「語れば正しい」でもない。
問い直すべきなのは、もっと地味で、もっと大きいことだ。音楽家の声を、私たちはいつ「芸術」と呼び、いつ「政治」と呼ぶのか。誰の歌なら文化として受け取り、誰の歌なら黙れと言うのか。さらに、その声を聞く私たちは、どこまで自分で考え、どこから先をスターの言葉に委託してしまっているのか。歴史を長く見ると、その線引き自体が、いつも政治の一部だったことがわかる。
ミュージシャンは、政治の外から政治に口を出す存在ではない。かなり昔から、政治が自分を聞こえる形にするとき、その近くにはだいたい音楽がいた。
参照
Footnotes
-
Joshua J. Mark, Enheduanna, World History Encyclopedia. ↩
-
Plato, Republic 3.398d, Perseus Digital Library. ↩
-
Bertran De Born, Encyclopaedia Britannica. ↩
-
Lamine Konte, The Griot: singer and chronicler of African life, UNESCO Courier. ↩
-
The story behind Nina Simone’s protest song, “Mississippi Goddam”, PBS American Masters. ↩
-
18th Meeting of Special Committee Against Apartheid, United Nations Audiovisual Library. ↩
-
Miriam Makeba UN Speech, 1963, South African History Online. ↩
-
El derecho de vivir en paz, Fundación Víctor Jara. ↩
-
Viet Rock, una obra norteamericana estrenada el 2 de mayo de 1969., Fundación Víctor Jara. ↩
-
Ethiopia, 1983–1985: Famine and the Paradoxes of Humanitarian Aid, Humanitarianism & Human Rights Resource Atlas. ↩
-
Patricia Daley, Commemorating Live Aid: Celebrity Humanitarianism and the Failure of Western Compassion, Pambazuka News. ↩
-
Sinéad O’Connor tears up a photo of Pope John Paul II on SNL, HISTORY. ↩
-
Once decried as sacrilegious, Sinéad O’Connor’s music and life were deeply infused with spiritual seeking, PBS NewsHour. ↩