After the Fade

ストレートエッジとは何か。しらふでいることが反抗になる場所

とは何か
音楽; パンク; ハードコア; ストレートエッジ; サブカルチャー
3105 文字

ストレートエッジとは何か。しらふでいることが反抗になる場所

ストレートエッジを、ただの禁酒禁煙の思想として読むと、かなり取り逃がす。

酒を飲まない。煙草を吸わない。ドラッグを使わない。場合によっては、性的な関係を消費のように扱わない。そこから、ヴィーガニズム、動物の権利、反消費主義、DIY、オールエイジズのライブ運営へ伸びていくこともある。

けれど、最初の手触りはもっと小さく、もっと個人的だった。騒がしい地下のライブハウスで、ほとんど叫びに近い声が「俺はそっちへ行かない」と言う。その声は説教というより、周囲の空気に対する拒否反応に近い。

ストレートエッジは、清潔で正しい生活のすすめとして始まったわけではない。パンクの中でさえ「反抗」として処理されていた酩酊、自壊、乱暴さに対して、別の反抗の形を差し出したものだった。

名前は曲から来た

ストレートエッジという言葉を広めたのは、ワシントンD.C.のハードコア・パンク・バンド、Minor Threat だ。

Dischord Records の Minor Threat 紹介ページは、彼らと SOA を「ドラッグやアルコールに関心を持たない若いバンドたち」の小さな波の一部として説明し、Minor Threat の曲「Straight Edge」が、薬物とアルコールから自由な生活を指す言葉を作ったと記している。1

「Straight Edge」は、1981年6月にリリースされた Minor Threat の 1st 7" に収録されている。2 曲は短い。あまりに短い。音は荒く、ギターは前のめりで、ドラムは余白をほとんど残さない。歌というより、狭い部屋の壁に向かって言葉を叩きつけているように聞こえる。

この曲は、最初から運動の綱領だったわけではない。まず「俺はこうする」という自己紹介だった。

Ian MacKaye は、後年のインタビューで、自分は1980年に「Straight Edge」を書いた時点で酒もドラッグもやっておらず、それは自分の人生の選び方だったと語っている。彼は、それを運動にするつもりも、他人に強制するつもりもなかった、と明確に言っている。3

最初にあったのは戒律ではない。

「俺はこうする」という、一人称の線だった。

酩酊しないことが、なぜパンクになったのか

パンクはしばしば、破壊、自堕落、夜、酒、ドラッグ、汚れた服、壊れた機材のイメージで語られる。そこにはもちろん、退屈な社会に対して身体ごとノイズになる強さがあった。

ただ、その反抗も定型になる。

飲むこと。キメること。めちゃくちゃになること。覚えていない夜を武勇伝にすること。そういう振る舞いが「パンクらしさ」として流通し始めると、反抗は別の制服になる。外側から見れば危険で自由に見えるが、内側では「そうしなければならない」という圧力になる。

ストレートエッジは、その圧力への拒否だった。

だから、保守的な禁欲としてだけ読むとずれる。酒やドラッグを避けるという行動だけを見れば、学校の生活指導や宗教的な道徳と似て見えるかもしれない。だが、ハードコアの文脈では、それは「楽しみを我慢する」より先に、「誰かが用意した壊れ方に乗らない」という態度だった。

MacKaye は同じインタビューで、アルコール産業が音楽の場をほとんど乗っ取っていることへの違和感も語っている。未成年の若いリスナーが、酒を買えないという理由でライブから排除されるのはおかしい。音楽は14歳や15歳にとってこそ大きいはずだ、と。3

ここでストレートエッジは、個人の生活規範から、場の作り方へ広がる。

しらふでいることは、自分の身体を守るだけではない。クラブと酒場の結びつきから音楽を少し引き剥がし、年齢や飲酒の有無に関係なく入れる場所を作ることでもあった。

手の甲のX

ストレートエッジの記号としてよく知られているのが、手の甲の黒いXだ。

これはもともと、ライブ会場やクラブで未成年者に酒を出さないための印だったとされる。Britannica は、ストレートエッジの参加者がパンクのショーで手の甲に大きな黒いXを描くことがあり、その印はもともと未成年の来場者をバーテンダーが識別するために使われたものだったと説明している。4

普通なら、それは制限のマークだ。

この人には酒を売らない。この人はまだ大人ではない。この人はクラブの中心にある消費に参加できない。

ストレートエッジは、その印を奪い返した。排除の印だったXが、選択の印になる。飲めないのではなく、飲まない。参加できないのではなく、別の参加の仕方を選ぶ。

この反転はパンクらしい。与えられた汚名や制限を、別の意味で着る。だが、その反転はモヒカンや破れた服より静かだ。身体を飾るというより、身体の状態を示す。自分がこの場にどう立つのかを、手の甲に置く。

思想というより、集中の技術

ストレートエッジの核にあるのは、「正しい人間になる」ことではなく、「自分の感覚を曇らせない」ことだと思う。

ライブで大きな音を浴びる。汗の匂いがする。床が揺れる。ギターの輪郭が潰れ、ボーカルの言葉は時々聞き取れない。それでも、そこにいることを覚えていたい。誰が演奏していたか、どこで空気が変わったか、どの瞬間に体が前へ出たかを、自分の記憶として持ち帰りたい。

MacKaye は、ジミ・ヘンドリックスの演奏を見たのに、酩酊していて覚えていない人の話を引き合いに出し、自分は人生の経験を忘れたくなかったと語っている。3

かなり素朴な話だ。でも、その素朴さが強い。

文化は、忘れるためにも使われる。週末を忘れる。仕事を忘れる。自分の輪郭を忘れる。酩酊には、そうした救いがある。だから酒やドラッグをめぐる文化を、外側から雑に否定することはできない。

ストレートエッジは逆に賭ける。

忘れるのではなく、覚えていること。曖昧になるのではなく、そこにいること。壊れることで自由を感じるのではなく、壊れないまま音の中に立つこと。

それは、快楽の否定ではない。快楽の受け取り方を変えることだ。

共同体になると、線は硬くなる

個人の選択が共同体の合言葉になると、必ず危うさが出る。

ストレートエッジは、単に「自分は飲まない」という姿勢に留まらなかった。地域や時代によっては、仲間内の誓いになり、アイデンティティになり、時には他者を裁く基準にもなった。

Britannica は、ストレートエッジの中には柔軟な集団もあれば、飲酒や薬物使用を強く拒否し、エッジを破った仲間を遠ざけるような厳格な集団もあると整理している。4 Ross Haenfler の研究は、ストレートエッジを単なる若者のスタイルではなく、個人的かつ集合的な抵抗として分析している。5

ここには、思想一般の難しさがある。

自分を守るために引いた線が、いつの間にか他人を測る物差しになる。酩酊に流されないための選択が、別の種類の支配になる。自由のために始めたことが、純度競争へ変わる。

ストレートエッジの歴史には、その両方がある。

しらふでいることを、資本主義的な消費や男性的な暴力性から距離を取る手段として使った人たちがいた。一方で、そのしらふを優越感に変え、他者への攻撃性を正当化した人たちもいた。

ストレートエッジを美しい思想としてだけ語るのは危ない。そこでは、救いと硬直が同じ線の上にある。

いま、なぜ近く聞こえるのか

2020年代の耳でストレートエッジを聞くと、少し違った響きがある。

ノンアルコール飲料は増え、ソバーキュリアスという言葉も広がった。健康、睡眠、メンタルヘルス、生産性、自己管理。酒を飲まないことは、かつてよりずっと説明しやすくなっている。

その分だけ、ストレートエッジの角は丸まりやすい。

現代のノンアルコール文化は、ときにウェルネス市場の言葉で語られる。よく眠るため。肌のため。仕事のパフォーマンスのため。朝を無駄にしないため。それ自体は悪くない。けれど、そこでは「しらふでいること」が、効率のための自己管理へ回収されてしまう。

ストレートエッジの面白さは、そこから少し外れている。

それは、よりよい消費者になるための節制ではなかった。消費の場として設計されたライブハウスやクラブ、酒と結びついた音楽産業、破滅を格好よさとして売る文化から、身体を少し引き抜く態度だった。

だから今読み直すなら、ストレートエッジは「健康にいいから酒をやめよう」という話ではない。

自分の意識を、誰に預けるのか。

自分の記憶を、誰のビジネスに渡すのか。

自分の反抗を、誰が用意した型で演じているのか。

そういう問いとして、まだ有効なのだと思う。

何が残ったのか

Minor Threat の「Straight Edge」は、短い曲だった。

その短さが、逆に長く残った。あれは整った思想体系ではなく、数十秒の拒否反応だったからだ。長い本のように読まれる前に、先に身体へ刺さる。速く、荒く、若く、少し不器用で、だからこそ命令ではなく叫びとして届く。

ストレートエッジは、禁欲の思想である前に、注意力の思想だった。

何を体に入れるのか。何を入れないのか。どの場所に行くのか。誰と立つのか。終わったあと、何を覚えているのか。

その問いは地味だ。派手な破壊に比べれば、絵になりにくい。だが、パンクが本当に「自分の生き方を自分で決める」ことに関わるなら、しらふでいることもまた、十分にうるさい反抗になりうる。

手の甲のXは、禁止の印ではなく、選択の跡だった。

壊れることを強いられる場所で、壊れないまま立つ。忘れることを誘われる場所で、覚えて帰る。その静かな頑固さが、ハードコアの短い轟音の中から、まだこちらを見ている。

曲を聴く

記事の中心にあるのは、Minor Threat の "Straight Edge" だ。

参照

  1. Dischord Records「Minor Threat」。https://dischord.com/band/minor-threat

  2. Dischord Records「Minor Threat - 1st 7"」。https://dischord.com/release/003/1st-7

  3. Sarah De Borre「2005 Interview with Ian MacKaye」XSISTERHOODX、2005年3月15日。https://www.xsisterhoodx.com/straight-edge/straight-edge-interviews/interview-ian-mackaye/ 2 3

  4. Emily Kendall「straight edge」Encyclopaedia Britannica。https://www.britannica.com/topic/straight-edge 2

  5. Ross Haenfler「Rethinking Subcultural Resistance: Core Values of the Straight Edge Movement」Journal of Contemporary Ethnography, 2004. https://doi.org/10.1177/0891241603259809