裸のラリーズの神話は、音源として戻ってくる
フィードバックが伸びると、曲が始まったのか、もう壊れ始めているのかがわからなくなる。裸のラリーズを語る言葉は、たいてい「謎」「神話」「カルト」のほうへ引っ張られる。けれど、音の真ん中にあるのは、もっと単純で、手触りのあるものだと思う。鳴り続けるギター。ゆっくり歩くベース。靄の向こうから戻ってくる歌。そこにあるのは、情報が少なかったから生まれた神秘だけではない。
2026年4月、裸のラリーズの『Disque 4 -’76 Studio et Live-』がリリースされた。水谷孝が1991年の3作と並行して構想していたとされる「第4のアルバム」が、久保田麻琴のプロダクション作業とマスタリングを経て、ようやくひとつの形を得た。1
これは、単に未発表音源が出たという話ではない。長いあいだ噂、海賊盤、断片的な映像、証言によって増幅してきたラリーズの像が、公式の音源として少しずつ輪郭を持ちはじめている。神話が消えるのではなく、神話の置き場所が変わっている。
神話は、情報の欠落だけではない
裸のラリーズは、1967年に水谷孝を中心として京都で結成され、1970年秋から東京へ拠点を移し、ライブを中心に活動した。1991年には『’67-’69 Studio et Live』『Mizutani / Les Rallizes Dénudés』『’77 Live』の3作が同時にリリースされている。1
この年表だけを読むと、ひとつのバンド史として整理できそうに見える。だが、ラリーズの場合、歴史はいつも少し遅れてやってくる。活動の中心にはライブがあり、公式音源は長く限られていた。聴き手の多くは、ブートレグや画質の荒い映像、海外の音楽批評、誰かの記憶を通してバンドに触れてきた。Rolling Stone Japanの記事も、ラリーズの「神話」が海を渡り、海外のリスナーやミュージシャンのあいだで再発見されてきた流れをたどっている。2
ただ、ラリーズの神話を「情報が少なかったから大きくなった」とだけ言うと、肝心なところを取り逃がす。情報が少ないだけなら、忘れられて終わるものも多い。ラリーズが残ったのは、ブートレグの荒さそのものが、音楽を聴く経験に入り込んでしまったからだ。
音が割れている。輪郭が潰れている。ギターがどこまで演奏で、どこから事故なのか判然としない。普通なら欠陥として扱われるものが、ラリーズでは、夜の空気やフロアの震えを伝える媒介になった。録音の悪さは、単なる音質の問題ではなく、距離の問題だった。そこにいなかった人間が、そこにいたかもしれない身体感覚へ近づこうとする。その距離が、神話を育ててきた。
轟音の奥に、歌がある
裸のラリーズは、轟音のバンドとして語られる。間違ってはいない。だが、轟音だけでは、ここまで長く聴かれ続けなかったはずだ。
ラリーズの曲には、しばしば単純で、忘れにくい骨格がある。「夜、暗殺者の夜」の反復するベースライン。「白い目覚め」というタイトルの白さと不穏さ。「鳥の声」の湿った余韻。ノイズはその上に降ってくる。あるいは、その内側から膨らんでくる。音が大きいから感情も大きい、という話ではない。むしろ、メロディが細く残っているから、ノイズがただの破壊にならない。
ラリーズの音には、歌謡曲やフォークにも通じる甘さがある。声ははっきり前に出るというより、エコーの中で遠ざかりながら残る。ギターは壁になるが、その壁の向こうで歌がまだほどけていない。そこに、ラリーズ特有の残酷さがある。美しいものが潰されるのではない。潰れながら、美しさを保っている。
『Disque 4』では、この「歌の骨格」が見えやすい。TUFF BEATSの商品情報でも、本作はスタジオ・レコーディング音源を中心に1枚のアナログ・レコードというサイズへまとめられたことで、アグレッシヴなノイズの洪水というイメージを超え、芯にある抒情性が浮かび上がっている、と説明されている。1
ここでいう抒情性は、音をきれいに整えることとは違う。むしろ、整いきらない音の奥に、どれだけ歌が残っているかという話だ。ラリーズの音は、うまく磨けば聴きやすくなる種類の荒さではない。荒さが消えたら失われるものがある。だから公式音源化は、単なる修復ではなく、どの濁りを残し、どの輪郭を立てるかという編集に近い。
『Disque 4』が変える距離
『Disque 4 -’76 Studio et Live-』は、通常の意味での「新作」とは少し違う。1976年の録音を中心に、水谷が4番目のアルバムのために選び出していた素材を再構成した作品とされる。ユーマチック、オープンリール、DATなどに残された素材には「Disque 4」や「Record No.4」といった表記があり、A面・B面に分けたアナログ盤を意識していた痕跡も確認されている。1
収録曲には「黒い悲しみのロマンセ 或いはFallin’ Love With」「夜の収獲者たち」「鳥の声」「白い目覚め」「夜、暗殺者の夜」が並び、CDには「The Last One_1976」がボーナストラックとして加わる。参加メンバーは、水谷孝、中村武志、楢崎裕史、三巻敏朗。『’77 Live』と重なる布陣でもあり、この作品は単なる発掘音源というより、当時のバンド像を別角度から照らすものになっている。1
ここで「未完成だったもの」が「完成した」と単純には言い切れない。水谷が構想していたアルバムの可能性は、残された素材と証言の中にある。けれど、2026年に私たちが聴く『Disque 4』は、久保田麻琴によるプロダクション作業とマスタリングを通った、現在のアーカイブでもある。
過去そのものには戻れない。かといって、過去をきれいな展示物にしてしまうのも違う。『Disque 4』が持っている緊張は、その中間にある。1976年の演奏を、2026年の耳へどう渡すか。ブートレグの靄を全部取り払えばいいわけではない。反対に、靄だけをありがたがれば、そこにあった演奏や歌の強度を見失う。
ラリーズの公式アーカイブ化は、その距離の調整として起きている。
アーカイブ化は、神秘を壊さない
2021年に公開された公式サイトのステートメントで、The Last One Musiqueは、裸のラリーズの音源に関する法的権利を有するレーベルとして、これまで流布してきた海賊盤よりも鮮烈な音、的確なプロダクションによって水谷孝の音楽を提供していく、と記している。3
この宣言は、ラリーズの受容にとってかなり大きい。ラリーズは長く、非公式な流通によって聴かれてきたバンドだった。ブートレグは多くの人に入口を開いた一方で、権利や音質、資料性の面では不安定なものでもあった。公式音源化は、その不安定さを整理し、誰が何を残すのかを決める作業でもある。
それでも、アーカイブ化によって神秘が壊れるわけではない。余計な霧が少し晴れたぶん、別の謎が見えてくる。
なぜ、このギターはここまで長く鳴る必要があったのか。なぜ、この甘いメロディは、こんなに黒い音の中で生き延びるのか。なぜ、1976年の日本のバンドが、半世紀後の海外リスナーや若いバンドにまで届くのか。噂ではなく、音そのものに問いたくなることが増える。
裸のラリーズの「謎」は、情報の空白から音の内部へ移動している。
夜のあとに残るもの
ラリーズを「日本音楽史上最も謎めいたカルトバンド」と呼ぶことは簡単だし、たぶん完全には間違っていない。だが、その呼び名だけでは、音の奇妙な優しさに届かない。
裸のラリーズの音には、聴き手を突き放す大きさがある。同時に、もう一度近づきたくなる弱さもある。ノイズは暴力的に鳴るのに、曲の芯には、どこか人懐っこい旋律が残っている。夜の奥へ向かう音楽なのに、真っ暗になりきらない。だから、終わったあとも、耳の奥でまだ白く揺れているものがある。
『Disque 4』は、神話の答え合わせではない。神話がまだ音として働くことの確認に近い。ブートレグの時代に生まれた距離、公式アーカイブが与える輪郭。その両方のあいだで、裸のラリーズはもう一度鳴りはじめている。
残るのは、説明しきれない轟音ではなく、説明しきれない歌だ。その歌が聴こえるかぎり、ラリーズの夜はまだ終わらない。
曲を聴く
本文で名前を挙げた曲を、まずはここから聴けるようにしておく。
黒い悲しみのロマンセ 或いはFallin’ Love With
白い目覚め
鳥の声
夜、暗殺者の夜
参照
Footnotes
-
Les Rallizes Dénudés(裸のラリーズ) / Disque 4 - ‘76 Studio et Live - (CD)、TUFF BEATS ONLINE STORE。 ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5
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Ikkei Kazama「裸のラリーズを今こそ再発見 日本音楽史上最も謎めいたカルトバンドの神話、ブルータルな夜の美学を紐解く」Rolling Stone Japan、2026年4月21日。 ↩