After the Fade

AIは音楽をどう変えるか——SUNO と good danny の間で

音楽; AI; SUNO; good danny; メロコア; 著作権; 批評
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AIは音楽をどう変えるか——SUNO と good danny の間で

受容の分裂

YouTubeには、「好き」と「これは何だ」が同じ場所に書き込まれるチャンネルがある。

good danny は、Hi-STANDARD、HUSKING BEE、LOCOFRANK——1990年代後半から2000年代にかけて日本のメロコア・スカパンクシーンを引っ張ったバンドたちのカバー動画を、次々とアップしている。演奏の精度はかなり高い。けれど、素性はわからない。チャンネルの説明文はほとんど空で、クレジットらしいクレジットも見当たらない。

コメント欄には、温度の違う声が並ぶ。「めちゃカッコいい」「懐かしくて泣いた」という称賛。「何者なの?」「AIじゃないの?」という疑問。「権利大丈夫?」という懸念。どれも同じ動画の下にある。

同じ音源を聴いているのに、なぜ反応はここまで分かれるのか。そこから考えてみたい。

何が生成され、何が残るか

SUNOは、テキストで指示を入れるだけで、ボーカル付きの楽曲を数秒で出力するAIサービスだ。コード進行、メロディライン、歌詞、ミックスまでそろった、「それっぽい音楽」がひとまず完成品として出てくる。

使ってみると、たしかに驚く。ジャンルや気分を入力すれば、普通に聴ける音楽が返ってくる。BGMとしては十分に機能するし、場合によっては感情も動く。

ただ、聴き続けていると、どこか薄い。

SUNOの出力には、「なぜこのフレーズがここに来るのか」という判断の跡が見えにくい。もちろん、モデルは膨大な学習データから、確率的にもっともらしい音を選んでいる。ただ、その選択は、誰かが何かを伝えようとして選んだものではない。

SUNOの音楽に「聴いたことある感じ」があるなら、それはたぶん正しい。学習データには実在の楽曲が含まれている。その音は、誰かの過去——誰かが作り、誰かが聴き、誰かが感動したもの——への参照として届く。

SUNOが変えるのは、音楽の生産コストと参入障壁だ。誰でも「それっぽい音楽」を手に入れられるようになった。 一方で、聴き手が何に感動するかの構造までは変えていない。感動が、誰かの判断の跡を感じ取るところから来るのだとしたら、その部分はまだ残っている。

good danny を解剖する

good danny の動画「CLOSE TO ME / Hi-STANDARD」1 を聴くと、まず質感に驚く。

ギターのピッキングのニュアンス、ボーカルの息づかい、ドラムの手数。2000年代の日本パンクサウンドとして、ほとんど違和感なく鳴っている。Hi-STANDARDの原曲が持つ「速くて、乱暴で、でも少し哀愁がある」という感触も、かなりの精度で残っている。

問題は、これが誰の手によるものかわからないことだ。

現時点の音楽生成AIには、ギター・ベース・ドラムのアンサンブルが噛み合い、ボーカルが原曲の文脈を引き継いだカバーを自動で出力する能力はない。good dannyの動画には、どこかで人間の判断が入っているはずだ。けれど、それがどこまで「人間の演奏」で、どこからAIの支援なのかは、外から判定できない。

この判定不能性が、かなり厄介だ。

もうひとつの問題が、権利処理だ。

カバー曲を公開するには、日本ではJASRACなどの管理団体を通じた許諾が必要になる。YouTubeにはContent IDという、原曲の権利者が収益を受け取れる仕組みがある。ただ、それは法的なクリアランスそのものではない。「YouTubeに止められていない」は「合法」と同じ意味ではない。

good dannyのチャンネルには、権利処理についての明示がない。動画の説明文を見ても、クレジットは乏しい。意図的に伏せているのか、単にそこまで意識していないのかもわからない。

カバーという行為は昔からある。コピーバンドも文化だ。ただ、それが匿名で、AI支援の疑惑があり、権利処理も見えないままプラットフォームに流れていくとき、話は少し変わる。

立場が変わると何が変わるか

good dannyへの反応は、見る場所によってかなり変わる。

権利者・現役ミュージシャンの視点からは、good dannyは収奪に見える。誰かが時間と技術をかけて作った音楽が、クレジットも許諾もなく再生産され、再生数と知名度を生んでいる。「上手い」という評価は、問題を消してくれない。むしろ、上手ければ上手いほど、元の音楽を作った人間の価値が、見えないところで参照され続ける。

90年代パンクで育ったリスナーの視点からは、good dannyは発見になる。ハイスタやハスキンを知らない世代に届く入口かもしれない。あるいは、かつて好きだった音楽が「まだ生きている」という確認になる。懐かしさは、それだけで成立してしまう。誰の手によるものかは、感動の手前では問われない。

テクノロジーと文化を横断して見る視点からは、good dannyはSUNOと鏡像になる。SUNOは「生成の痕跡がない」AI音楽。good dannyは「誰かの判断があるはずなのに見えない」音楽。両者の間には、「判断の可視性」という軸がある。人は、誰かの意志が音楽に入っていると感じたとき、その音楽を別のものとして聴いているのかもしれない。いま、その「誰か」がどんどん見えにくくなっている。

問いは誰のものか

「AIは音楽を変えるか」という問いには、すぐ答えを出せない。

ただ、この問いを誰が持つかで、問われているものは変わる。

権利者にとっては収益と信用の話になる。ミュージシャンにとっては、創造の意味の話になる。リスナーにとっては、「感動の出所など気にしたくない」という、問いそのものへの拒否感になることもある。プラットフォームは、エンゲージメントと法的リスクを秤にかける。

good dannyの動画の下で称賛と懸念が並ぶのは、こうした問いが同じ画面に重なっているからだ。

SUNOは、誰でも「それっぽい音楽」を作れる世界を作った。good dannyは、「誰が作ったかわからない音楽」が感動を生む世界を、すでに目の前に置いている。

音楽が変わったのかどうかは、まだわからない。でも、誰が音楽を問うのかは、確実に変わりつつある。

曲を聴く

本文の中心にあるのは、この good danny のカバー動画だ。

good danny - CLOSE TO ME / Hi-STANDARD

参照

  1. good danny — CLOSE TO ME / Hi-STANDARD