After the Fade

バグを見つけた人は、そのゲームを少し作ったことになるのか——「デバッグしないと出られない部屋」を読む


バグを見つけた人は、そのゲームを少し作ったことになるのか——「デバッグしないと出られない部屋」を読む

異変を見つけたら、引き返さずに

2026年7月26日、飯田橋駅から徒歩2分の学校跡地で、一風変わったインディーゲーム展示会が開かれた。名前は「デバッグしないと出られない部屋」。来場者は入場時に「バグ収集スタンプカード」を受け取り、開発中のゲームを試遊してバグや感想を開発者に報告するとシールがもらえる。シールを一定数集めて、はじめて廃校の教室から「脱出」できる。

キャッチコピーは「異変を見つけたら引き返さずに、教えてください」。『8番出口』のルール——異変を見つけたら引き返す——を、ほとんどそのまま裏返した文言だと思われる。あちらでは異変は避けるべき徴候だったが、ここでは異変こそが報告すべき成果物になる。この反転が、イベント全体の設計を一行で要約している。

このイベントについて考えたいのは、企画の珍しさではない。デバッグという、本来なら無償労働になりかねない行為を、プレイヤーが作品に痕跡を残せる遊びへ変換した設計——それが実際に機能するのか、という問いのほうだ。

確認できる事実

主催はアドバーチャ株式会社(代表取締役・水野征太朗氏)。企画・運営には、自身もゲーム開発者としてイベントに出展してきた「ゆーりんち」氏らが参加している。会場は新宿区揚場町の「学校跡地の飯田橋でっかいレンタルスペース」で、リリース前・開発中のインディーゲームを中心に20ブースの出展が予定されていた。事前登録100名は入場無料、当日券は500円。出展料は4,500円で、審査なしの先着順だった。

報酬の設計は段階的だ。バグを発見すると「バグ発見シール」、バグでなくてもフィードバックをすれば「バグ報告シール」。一定数で脱出が成立し、脱出者にはイラストレーター・つちのこきづち氏による会場限定ステッカーが渡される。さらに報告数に応じて「銀のデバッガー」「金のデバッガー」とステッカーのランクが上がる。当日はゲーム開発YouTuber・ひろはす氏の講演も組まれていた。

廃校の教室に机が向かい合わせに並ぶ。
廃校の教室に机が向かい合わせに並ぶ。

廃校の教室(写真は本イベントの会場ではない)。「デバッグしないと出られない部屋」は学校跡地の教室を借り切って開催された。写真:Tomo(Wikimedia Commons / CC BY 2.0)

開催後の確定数字——実来場者数、試遊総数、報告されたバグ・感想の件数、そのうち何件が開発者にとって新しい発見だったか——は、この記事を書いている時点で公開されていない(要検証)。以下の読みは、開催前の一次発信と、出展者による開催後の記録に基づいている。

試遊会でプレイヤーは本音を言わない

企画者のゆーりんち氏は、開催告知の記事で企画の起点を率直に書いている。ゲーム展示イベントで、プレイヤーはなかなか本音を語らない。「面白かったです」と言いながら3分で試遊を切り上げる人。「めっちゃ面白かった」と言ったのにアンケートは5点中3点の人。何も言わずに去っていく人。率直な感想が開発者を不快にさせるかもしれないという遠慮が、いちばん欲しい「ガチな感想」を止めてしまう。

この診断が正しいなら、必要なのはフィードバックのお願いではなく、遠慮の構造を壊す仕掛けだ。同氏の設計は、バグを見つけることを試遊の前提に置く。「何をやっても許される」状態を作り、想像の限りのあらゆる操作を促す。バグ報告という口実ができた瞬間、プレイヤーは「作品を評価する客」から「壊れた場所を探す係」に役割が変わり、率直さが失礼ではなくなる。感想を言いやすくするのではなく、感想を言うことが遊びの手続きになるように組んである。

ここで思い出すのは、ゲーム保存について書いたとき、制度が担わない仕事がほぼ無給のボランティアに落ちていく構造を見たことだ。デバッグも放っておけば同じ側に落ちる。開発途中の作品を無料で検品してもらう、と書けば搾取の言い換えにしかならない。このイベントの設計上の発明は、その労働をシールと脱出条件で「作品に痕跡を残せる遊び」に変換した点にある。報告したバグが製品版で直っていたら、その修正のいくらかは自分のものだ——スタンプカードは、その所有感を紙の上に可視化する装置に見える。

プレイテストの様子。開発中のゲームを囲んでプレイヤーが画面に向かう。
プレイテストの様子。開発中のゲームを囲んでプレイヤーが画面に向かう。

プレイテストの風景(写真は本イベントのものではない)。開発中の作品を人前で遊ばせることは、開発者にとって検証であると同時に賭けでもある。写真:włodi(Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0)

「スベる」ことへの怖さ

もう一つ、告知記事で目を引いたのは、企画者が怖さを隠していないことだった。過去に開催したイベントの累計赤字は30万円近く。時間もお金も使ったうえで「スベる」のが一番怖い、と書いている。未完成のゲームを人前に出す出展者の不安と、未完成のイベントを人前に出す主催者の不安が、ここでは同じ構造をしている。バグや改善点も含めて見せる、という参加条件は、主催者自身にも適用されていたことになる。

開催後の出展者の一次発信も、少なくとも一件は確認できる。宇宙探査ゲームを出展した開発者は、一教室10ブースというスペースの余裕、通路側から来場者のプレイを観察しやすい配置に触れたうえで、「第一回目の開催ということもあり、どんなイベントになるのかわかりませんでしたが、結果としてはかなり良いイベントでした」と記録している。この開発者が重視していたのは、バグの収集よりも「プレイしてくださった方の反応を見て、方向性を確認すること」だった。デバッグという建て付けが、実際には方向性確認の場として使われている——この一件だけでも、設計と実際の使われ方のずれが見えて興味深い。

まだ分からないこと

ただし、対抗仮説も立てておくべきだと思う。脱出ゲーム風の仕掛けは試遊数を増やしても、開発者が本当に必要とする深いフィードバックにはつながらない可能性がある。シール目当ての報告は、数は稼げても浅くなりうる。表面的なバグ(誤字、当たり判定)は見つかっても、ゲームデザインの根の問題は3分の試遊からは出てこないかもしれない。

これを検証するには、報告総数のうち何件が既知で何件が新規だったか、出展者がどの報告を採用しどれを採用しなかったか、シール報酬が報告の質に影響したか、という事後データが要る。いずれも現時点では公開されていない。開催前の説明記事は複数あるが、開催結果を独立に検証した記事は確認できていない。だからこの記事も、設計の読み解きまでで止めておく。仕掛けが機能したかどうかの判定は、数字と証言が出てから書き足すべきものだ。

入口を意図して作ること

それでも、設計そのものから言えることはある。数日前、子どもを映画館の観客に育てるプログラムについて、放っておいて自然に育つ観客と、誰かが意図して作った入口から入ってくる観客は別のものだ、と書いた。このイベントがやろうとしているのは、その入口のゲーム開発版に見える。完成品を消費するだけだったプレイヤーに、開発途中という時間への入口を開ける。海外のコミュニティでは早期アクセスやプレイテストを通じて日常的に起きていることが、日本では「深く根付いていない」というのが主催者の問題意識だった。

インディーゲームの展示会は、完成度と短時間での分かりやすさを競う方向に洗練されていきやすい。実際、前述の出展者も、いまの展示会の手作り感はいずれ薄れ、商業色が強くなっていくだろうと書いていた。そのなかで、未完成であることを隠すべき欠点ではなく参加の前提へ反転させたこの企画は、洗練とは別の軸を一本立てようとしている。バグを見つけた人は、そのゲームを少し作ったことになるのか。答えはまだ出ていないが、その問いを遊びの形で立てたこと自体が、第一回の成果だと思う。