Daguerreotypesを、イランのバハイ教という文脈から聴く
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この記事は、宗教迫害と処刑に触れます。
Daguerreotypesのデビュー作『This Is My Way to Tell You That Everything Is Real and Happening Right Now』を聴いて最初に残るのは、思想の大きさよりも部屋の空気だと思う。カセットとリールのざらつき、20曲を抱えた二枚組の長さ、そして誰かが家の仕事や生活のすきまを縫って、やっと形にしたような切実さ。BandcampのライナーノーツでJames Samimi Farrは、自分を「family man」「total amateur」「industry outsider」と書いている。Pitchforkもこの作品を、日用品に囲まれ、光に浸されたような録音だと捉えていた。12
ただ、このアルバムの柔らかさは、単に生活感があるというだけでは終わらない。Samimi Farrは別の場で、自分がバハイ教の家に生まれたことを話しているし、2022年には、イランで処刑された妻の祖父カムラン・サミミについて書いた。34 だからこの作品を、単なる無名のインディフォークの突然変異として聴くだけでは少し足りない。ここには、家庭、共同体、信仰、そしてイランという歴史の重さが、目立ちすぎない形で沈んでいる。
もちろん、このアルバムをバイオグラフィーの暗号として解読する必要はない。けれど、どんな生活の上にこの歌が置かれているかを知ると、響き方は確実に変わる。
家庭の時間で作られた二枚組
Bandcampの記述によれば、この作品は2022年、West Quebecのコテージでの9日間の録音を中心に作られ、TASCAM 488/424やリール・トゥ・リールを使いながら、できるだけテープの質感を残す形で仕上げられた。Charles Jamesのプロダクションは、いわゆる懐古趣味としてのローファイではなく、音の輪郭を少し遅らせるための装置として働いている。1
その遅れ方がいい。曲はすぐに感情の結論へ行かず、まず室内の残響や声の距離を聴かせる。Pitchforkが書いていたように、このアルバムには「room tone」と呼ぶしかない気配があり、壁の塗装すら見えそうな近さがある。2 それは音が小さいという意味ではない。むしろ、音がこちらへ来るまでに、生活の層をいくつか通っている感じだ。
Rolling Stone Japanのインタビューでも、Daguerreotypesはレーベルもエージェントも持たない完全インディの音楽家として紹介されている。無名の時期が長かったこと、すでに次作を書き進めていること、そして音楽の政治性を党派的なスローガンよりも別の言語として考えていることが語られていた。5 その意味でこの二枚組は、「遅れて現れた才能」の神話よりも、長く無名だった時間そのものが音の中に保存されている作品に近い。
祈りに近いが、教義の説明にはならない
Pitchforkはこの作品の中心に「god-shaped hole」があると書いていた。たしかに「Firefly」や「Take a Great Notion」に触れていくと、このアルバムには祈りに似た身振りが繰り返し現れる。けれど、それは安心して信じ切っている声ではない。もっとためらいがあり、信じたいことと信じきれないことが同時に残っている。2
Bandcampの長いライナーノーツでも、Samimi Farrは「family」「community」「spiritual life」を並べて書いている。そこにあるのは、宗教的な勝利宣言ではなく、芸術への欲望と生活の責任をどう両立させるかという、かなり地上的な悩みだ。1 だからこのアルバムのスピリチュアリティは、天上へ抜けていく超越というより、台所や子どもの寝息のある現実の中で、なお何か大きいものへ手を伸ばそうとする姿勢として響く。
この感じは重要だと思う。宗教を背景に持つ作品というと、つい教義の図解や信条告白として読んでしまいがちだが、Daguerreotypesの歌はそこまで閉じていない。むしろ、生活の普通さがそのまま形而上学に触れてしまう瞬間を延ばしている。
イランのバハイ教が「複雑」なのは、出自と排除が重なっているから
ここで最低限、イランのバハイ教について整理しておきたい。バハイ教の起点は1844年のシーラーズにあり、バーブの宣言から始まる。彼の運動はペルシアの聖職者と国家から激しく敵視され、多数の信徒が殺され、バーブ自身も1850年にタブリーズで処刑された。のちにバハオラがその後継的存在としてバハイ教を形成していくが、彼自身もテヘランで投獄され、40年にわたる追放と拘禁を経験した。6
つまりバハイ教は、イランの外から入ってきた宗教というより、ペルシア/イランの内部で生まれ、その内部で異端として押し返された宗教だということになる。その結果として、バハオラの亡命の連鎖の先に現在の聖地や世界センターが置かれることになった。67 この「イランに深く根ざしているのに、国家の正統性からは外に追いやられる」というねじれが、まずひとつ目の複雑さだ。
もうひとつは、排除の歴史だけでは言い尽くせない点にある。Bahá’í World News Serviceの近年のポッドキャストでは、19世紀から20世紀初頭のイランにおいて、バハイ共同体が教育、女性の地位、協議と代表制の考え方などで改革的な役割を果たしたことが強調されている。8 近代化に寄与した側面を持ちながら、同時に公的正当性から排除されつづける。この二重性が、バハイ教をイラン史の中で見えにくくしてきた。
さらに現在形の問題として、Samimi Farr自身はReligion News Serviceへの寄稿で、妻の祖父が1981年にイランで処刑されたこと、そして現在もバハイ共同体が逮捕、投獄、経済的剥奪、教育からの排除などにさらされていることに触れている。4 ここでは、宗教史は過去の出来事ではなく、いまも続く生活条件になる。
その文脈を知ると、「普通の生活」の重さが変わる
Southside Prideの記事でSamimi Farrは、自分がバハイ教の家に生まれ、片親はバハイ、もう片親はカトリックだったと語っている。そこでは、バハイ教が他宗教に対して比較的開かれた境界を持つことにも触れていた。3 この出自を知ったうえでアルバムのライナーノーツを読むと、「family」「community」「spiritual life」という語の並びが、単なる成熟した大人の自己紹介ではなくなる。
この作品が何度も立ち返るのは、成功できなかった音楽家の悔しさだけではない。芸術への欲望を捨てきれないこと、しかし家族や共同体もまた捨てられないこと、その両方を矛盾としてではなく、なんとかひとつの生活に収めようとすることだ。1 そこに、バハイ教の教義そのものを読み込む必要はない。けれど、少なくともSamimi Farrが自分の宗教的背景とイランの迫害の歴史に無関係な位置から歌っているわけではない、とは言える。
だからこのアルバムの「普通さ」は軽くない。やたらと劇的な事件を書く代わりに、部屋、川、家族、声、加齢、共同体といったものを歌う。その選び方自体が、壊れやすい生活をどう守るかという倫理に見えてくる。大げさな抗議の歌ではないが、だからこそ歴史の圧が消えているわけでもない。
音楽は政策を変えなくても、世界の見え方を変える
Rolling Stone JapanのインタビューでSamimi Farrは、音楽は政治的だとしても、それはグラミーやスーパーボウルのようなスペクタクルの言語とは別の仕方で政治的なのだ、と話していた。音楽は人を共同体の一員だと感じさせ、世界を再文脈化するが、それがそのまま政策変更を起こすとは限らない、という感覚である。5
この認識は『This Is My Way to Tell You That Everything Is Real and Happening Right Now』の聴き方そのものでもあると思う。このアルバムは、イランのバハイ教を解説するレコードではないし、迫害の歴史を直接語るプロテスト・アルバムでもない。けれど、家庭の時間、手作業の録音、信仰へのためらい、共同体への希求をこれだけ丁寧に並べることで、歴史に押しつぶされないための感受性を作っている。
Daguerreotypesを紹介するうえで大事なのは、この作品を単なる「無名の天才の発見」で終わらせないことだと思う。音の温かさの奥には、生活を守りながら歌うことの難しさがある。そしてその背後には、イランで生まれた宗教がイランの内部で排除されつづけてきた長い時間がある。
その文脈は、この音楽の唯一の鍵ではない。だが、知らずに聴くより、知って聴いたほうが、このアルバムの声は少し深く、少し遅れて届く。
曲を聴く
本文の中で具体的に触れた2曲を、まずはここから聴けるようにしておく。
Firefly
Take a Great Notion
参照
Footnotes
-
This Is My Way to Tell You That Everything Is Real and Happening Right Now, Daguerreotypes Bandcamp. ↩ ↩2 ↩3 ↩4
-
Daguerreotypes: This Is My Way to Tell You That Everything Is Real and Happening Right Now Album Review, Pitchfork. ↩ ↩2 ↩3
-
The Baha’i Faith, Southside Pride. ↩ ↩2
-
James Samimi Farr, My wife's grandfather was executed for his Baha'i faith. Iran hasn't changed enough., Religion News Service, 2022-01-21. ↩ ↩2
-
「音楽は世界を再文脈化してくれる」謎の新人Daguerreotypesが語る、無名時代の20年と第三空間のフォーク, Rolling Stone Japan. ↩ ↩2
-
Brief history, Bahá’í World News Service. ↩ ↩2
-
The Early Bahá’í Community, bahai.org. ↩
-
Insights from the Field: Uncovering early Bahá’í contributions to 19th century Iran—Part 1, Bahá’í World News Service. ↩