After the Fade

グラフを見てから買う——中華オーディオが動かしたのは値段ではなく権威だった


グラフを見てから買う——中華オーディオが動かしたのは値段ではなく権威だった

イヤホンを買うとき、いつからか試聴レビューより先にグラフを見るようになった。

横軸が周波数、縦軸がデシベル。低域がどこから盛り上がっているか、3kHz 付近の山の高さ、8kHz あたりに刺さりそうな尖りがないか。何本かの線を重ねて、目当ての製品が「基準の線」からどうずれているかを見る。そうやって、一度も音を聞かないまま注文することになる。

この買い方は、二十年前ならほとんど成立しなかった。当時、良し悪しを決めていたのは雑誌の評論と店頭の試聴、それにブランドが時間をかけて積んだ信用だ。いまはその重心が、かなりグラフとフォーラムの側に寄っている。

MOONDROP や Edifier が伸びたのは安いからだ、という説明はよく見る。でも、安いイヤホンなら 2000 年代にもいくらでもあった。あのころ足りなかったのは、当たりか外れかを買う前に人と共有する手段だ。それが変わったあとに中華オーディオが出てきたし、変えた側にも回っている。

数字が土俵になった

土台にあるのは、ヘッドホンの「好ましい音」を統計で出そうとしたハーマンの研究だ。多数の被験者に聴かせて、どの周波数特性が好まれるかを測る。そこから出た目標曲線がいわゆるハーマンターゲットで、イヤホン向けの改訂版が Harman IE 2019 として広く参照されている。1

これは一人の名匠の耳ではない。手続きが公開されていて、追試もできるし批判もできる。オーディオの評価に、他人と共有できる物差しが入ってきた。

MOONDROP はその物差しを自社の看板にしている。製品ページでは、自前の目標曲線 VDSF を「拡散音場における B&K HATS の HRTF と理想的なルーム・プリファレンス・カーブに基づいて作られた目標周波数特性」と説明し、そこに近いほど音色と音場の再現が良いという立場をとる。2 廉価機の CHU II でも、売り文句の中心は「VDSF に沿った周波数特性」だ。

従来のオーディオ広告は、素材や設計者の耳、開発にかけた年数、ブランドの歴史を語ってきた。MOONDROP はそこを飛ばして、いきなり測定結果を出す。会社としては 2015 年創業の成都拠点で、公式には 4,000 平方メートルの生産設備と 20 以上の国と地域への展開を挙げているが3、消費者に向けた言葉づかいを見るかぎり、信用の担保は歴史ではなく数字に置かれている。

その数字を並べて比べる場所は、メーカーの外にできた。crinacle の In-Ear Fidelity にあるグラフデータベースでは、膨大な数の製品を同じ条件の測定で重ねて見られる。4 メーカーも価格帯も関係なく線が並ぶので、新興ブランドにはこれ以上ないくらい有利な土俵になった。歴史がないことが、そこでは不利にならない。

レビュアーの名前が製品名に入る

2020 年末、MOONDROP は自社の Blessing 2 を crinacle と共同で再チューニングした Blessing2:Dusk を出した。crinacle 自身が開発の経緯を書いていて、予約開始は 2020 年 12 月 12 日。5 個人レビュアーの名前が、メーカーの製品名に併記されている。

その後、これはひとつのフォーマットになった。Truthear x crinacle Zero のように、レビュアーとの共同開発を最初から前提にした製品が、そのままグラフデータベースに載る。6

昔の感覚でいえば、書評家の名前が出版社と並んで表紙に刷られるようなものだ。批評する側とされる側の境界が、かなり溶けている。しかも隠されていない。共同開発だと明示され、チューニングの意図も測定も公開される。透明にすることで、その溶け方ごと正当化しているように見える。

SNS の広告が上手かった、という話

製品と同じくらい効いていたのは、SNS の使い方だったと思う。X や YouTube、Reddit の r/headphones、Head-Fi、日本語圏のブログやタイムライン。新製品は発売前からグラフつきで流れ、レビュー動画が同時多発的に出て、価格対性能の比較表が回る。「1 万円以下でこの特性」という話は、そもそも拡散しやすい形をしている。

どこまでが自然発生的な熱狂で、どこからが仕込みなのかは、外から見ても分からない。

分かるのは構造のほうだ。レビュー用サンプルの無償提供、アフィリエイトリンク、共同開発による収益、先行レビューの解禁日調整。オーディオに限らずガジェットのレビュー経済にはどこにでもある仕組みで、これがあるからといって「ステマだった」と断定できるわけではない。個々の投稿がどんな条件で書かれたかは、明示されていない限り外からは確かめようがない。

制度の側は、その曖昧さを問題として扱い始めている。日本では 2023 年 3 月にステルスマーケティングの告示と運用基準が定まり、同年 10 月 1 日から、一般消費者が事業者の表示だと判別しにくい表示が景品表示法上の不当表示になった。7 少なくとも国内では、広告だと分からない広告はもうグレーではない。

そう考えると、グラフ文化はずいぶん都合よくできている。権威を個人の耳からデータへ移して誰でも検証できるようにした一方で、その客観的な見た目が、そのまま広告としてよく効く。線が重なった画像には説得力がある。誰がどんな条件でその測定をしたかは、画像には写らない。

中華オーディオに限った話ではない。ただ、測定を看板にしたブランドほど、この都合のよさの上に立っている度合いは大きい。

数字に寄せると、音は似てくる

目標曲線が共有されれば、製品はそこへ寄る。実際、ここ数年の同価格帯のイヤホンはグラフ上でよく似た形をしている。基準に近いことが評価の軸になった以上、当然の帰結ではある。

同時に、平均への収束でもある。極端に盛った低域、癖のある中域、意図して狭くとった音場。かつて「このブランドの音」と呼ばれた部分は、目標からの逸脱として減点されやすい。測れるようになったぶん、測れる軸の外にあった価値が議論から落ちる。

物差し自体も、思ったほど安定していない。測定用のカプラが旧来のものから B&K 5128 系の人体模擬装置へ移る過程で、既存の目標曲線をどう翻訳するかが問題になり、ハーマン自身が改めて聴取実験をしている。2024 年に報じられた研究では、5128 向けに翻訳した Harman IE 2019 と SoundGuys の選好曲線が統計的に並んだ。1 客観の基準に見えるものの足元で、測定系も目標曲線もまだ動いている。

だからグラフを見て買うというのは、正解を買っているというより、いまのところの合意を買っている、くらいのことだと思う。

Edifier は逆から来ている

Edifier は、こういう評価の仕方が広まる前からある会社だ。

CES 2012 の展示ブースに並んだ Edifier のデスクトップスピーカー
CES 2012 の展示ブースに並んだ Edifier のデスクトップスピーカー

画像: CES 2012 - Edifier speakers by Doug Kline / CC BY 2.0

公式の沿革によると、創業は 1996 年、最初の製品は木製の防磁スピーカー。1998 年に北京、2001 年に深圳の生産拠点を置き、2003 年には国内市場で主要な位置につく。2006 年にヘッドホンへ入り、2010 年に中国国内で上場した。8

つまり Edifier は、グラフ文化以前に、PC 用のデスクトップスピーカーという生活の実需で規模を作っている。オーディオマニアの評価軸というより、机の上に置く現実的な選択肢として広がった。

その会社が 2012 年、日本の STAX を完全子会社にする。8 静電型イヤースピーカーでは、ほとんど固有名詞のようなメーカーだ。(買収の公表時期を 2011 年 12 月とする二次情報もあって、公式沿革の年表と一年ずれる。ここは未確認。)

STAX SR-007A イヤースピーカー。丸いハウジングと平たいドライバー部が見える
STAX SR-007A イヤースピーカー。丸いハウジングと平たいドライバー部が見える

画像: Stax SR-007A headphones by Jud McCranie / CC BY-SA 4.0

やり方としては MOONDROP のほとんど逆に見える。測定で権威を作り直すのではなく、権威をすでに持っているブランドを買う。歴史がないなら歴史を買えばいい、という判断だ。

どちらが正しいという話ではないが、「中華オーディオの躍進」というひと括りの中に、性格の違う二つの経路が入っていることは押さえておきたい。MOONDROP は評価基準が変わったこと自体を利用して上がってきた。Edifier は量販で足場を作って、あとから正統性を買い足している。

それで、何が残ったか

この十年で確実に変わったのは、入口の高さだ。数千円から一万円台で、周波数特性の破綻していないイヤホンが普通に買える。かつてこの価格帯にあったのは、どうせこんなものだろうという諦めだった。

手のひらの DJ 台で書いた DJ 機材の民主化と、起きていることは近い。始めるための費用と知識のハードルが下がって、「まずやってみる」が現実的になった。

失われかけているものもある。自分の耳だけを頼りに、店で長いこと迷って、根拠のない直感で選ぶ時間だ。グラフはその迷いをかなり短くしてくれる。短くなった分だけ、機材と自分の関係も少し薄くなったかもしれない。チープカシオの改造を面白がる感覚と、グラフを見て最適解を買う感覚は、たぶんあまり仲が良くない。

いまのところ、自分はグラフを見てから買っている。ただ、あとまで残っているのは線が基準に近かったことではなくて、その日その部屋でどう鳴ったかのほうだ。

出典・注記

  • 事実情報は、可能な範囲でメーカー公式および測定元の一次情報を参照した。
  • SNS 上のマーケティング手法について、具体的な事業者の違法行為を主張するものではない。本文で扱ったのはレビュー経済に共通する構造と、日本国内の規制状況のみ。
  • Edifier による STAX 買収の年について、公式沿革(2012 年)と二次情報(2011 年 12 月公表)に差がある。未確認。
  • Harman IE 2019 と B&K 5128 への翻訳に関する記述は報道記事に依拠しており、原論文は未確認。
  1. SoundGuys, "Harman Target, SoundGuys Preference Curve most preferred for in-ears" https://www.soundguys.com/harman-target-soundguys-preference-curve-validated-125420/ 2

  2. MOONDROP 公式製品ページ「CHU II In-Ear Monitor」 https://moondroplab.com/en/products/chu-ii

  3. MOONDROP 公式「About MOONDROP」 https://moondroplab.com/en/about-us

  4. In-Ear Fidelity, "Graph Database" https://crinacle.com/graphs/

  5. In-Ear Fidelity, "Behind the Scenes: Moondrop x crinacle Blessing2:Dusk"(2020 年 12 月 6 日) https://crinacle.com/2020/12/06/behind-the-scenes-moondrop-x-crinacle-blessing2dusk/

  6. In-Ear Fidelity, "Truthear x crinacle Zero" https://crinacle.com/graphs/iems/truthear-x-crinacle-zero/

  7. 消費者庁によるステルスマーケティングの告示・運用基準は 2023 年 3 月に策定、同年 10 月 1 日施行。解説として BUSINESS LAWYERS「ステマ規制とは?違法となるのはどんな場合?」 https://www.businesslawyers.jp/articles/1310

  8. Edifier 公式「Company History」 https://www.edifier.com/global/about-us-our-story 2